古社寺風景

永保寺

岐阜県南東部の多治見市、土岐市、瑞浪市、恵那市、中津川市は東濃と呼ばれ、この中でも多治見、土岐、瑞浪は美濃焼の産地として知られています。

このあたり、古代律令制の時代は五畿七道(行政区画)の東山道に属し、街道としての東山道によって北は陸奥国まで通じていました。現在の東濃地域には中央本線、中央自動車道、国道十九号線が幹線として横断し、愛知県の名古屋市や春日井市、瀬戸市との往来も盛んです。

そんな東濃の南端に位置する多治見市の、土岐川に沿った山間の地に、臨済宗南禅寺派の虎渓山永保寺があります。

 

開基は夢窓疎石。次のように伝わっています。

鎌倉時代後期の嘉元三年(一三〇五)、高峰顕日こうほうけんにち諡号しごうは仏国禅師)から悟りを開いたという証明をもらい、幼少期を過ごした甲斐国で聖胎長養しょうたいちょうよう(禅宗において、修行が済んだ後さらに悟りを高めるための期間。世にはでないけれど隠遁とも異なるもので、悟りを開いた心をあたためる日々を送る)を続けていた夢窓疎石ですが、噂を聞きつけ各地から弟子がやってくるのでここにはいられないと、同門の元翁本元げんおうほんげんを伴い諸国を行脚していたところ、中国廬山の虎渓を思わせる当地を気に入り、正和二年(一三一三)庵を結んだのに始まると言われています。

その後文保元年(一三一七)夢窓疎石が京都に移ることになり、永保寺には元翁本元が住したことから、後に元翁本元が永保寺の開山とされました。

ちなみに、文化三年(一八〇六)の『虎渓山略縁起一人案内』には次のような創建由来も。

長瀬山(境内後ろの山で、後に虎渓山と呼ばれるようになる)の麓を目指して歩いている途中、道に迷った夢窓疎石一行が、白馬に乗った女性に道を尋ねるも返事がなかったため、「空蝉のもぬけのからか事問えど 山路をだにも教えざりけり」と詠んだところ、女性は「教ゆとも誠の道はよもゆかじ 我をみてだに迷うその身は」と返して姿を消しました。その後岩の上に観世音菩薩が現れたことから、夢窓疎石はそれをご本尊として観音堂を建立したということです。神秘性を加味した作り話は創建由来にはよく見られるものなので、これもその一つと思っておけばいいのでしょう。

いずれにせよ、夢窓疎石は正和三年(一三一四)ご本尊を安置する観音堂を建立し、それを中心に自然の地形を生かし禅の悟りの境地を表現した庭を造りあげたと言われています。

冒頭の写真の左に見えるのが観音堂(国宝)です。池に突き出した出島に建てられており、水月場とも呼ばれます。檜皮葺・入母屋造りの建物は、禅宗様に和様が取り入れられた折衷様式。禅寺に見られる崇高で厳しい雰囲気よりも、柔和で落ち着いた感じがします。

通常堂内には入ることはできませんが、須弥壇上には流木で組まれた岩窟式の厨子が置かれ、そこに観世音菩薩像がお祀りされています。

 

観音堂の左奥には梵音岩と呼ばれる岩山が聳え、そこから幾筋もの滝が流れ落ち、観音堂前に拡がる池に注ぎ込んでいます。池には無際橋と呼ばれる橋が架けられ、中央には切妻屋根のついた橋殿。ここから梵音岩や滝、池を眺めていくうち、次第に禅の境地に入っていくという場なのでしょう。

散策しながら心を此岸と彼岸の間に行き交わせ思惟を巡らせるのに相応しい、禅的な要素の多い庭園です。

 

ちなみに夢窓疎石による庭であることが事実なら、三十八歳ぐらいのときのものになるので、その後誕生する天龍寺や西芳寺の庭園の先駆けと言えますが、天龍寺や西芳寺の庭も含め、夢窓疎石が庭を造ったという確固たる証拠がないことから、夢窓疎石は庭は造っていなかったのではないかという説もあります。ここ永保寺の庭も創建以前から当地にあった土岐氏の居館の庭として造られたもので、夢窓疎石によるものではないと重森三玲氏は『日本庭園史大系』で述べられています。

真実はどうなのかわかりません。ですが、西芳寺を造るにあたり残した次の漢詩から夢窓疎石の作庭観がうかがえるように、庭造りは夢窓疎石にとって心を磨く大切な修養の場であったのではないでしょうか。

仁人自是愛山静   仁人じんじんは自から是山の静なるを愛す
智者天然楽水清   智者は天然に水の清きを楽しむ
莫怪愚惷翫山水   あやしむこと愚惷ぐとう山水をもてあそぶを
只図藉此砺精明   只だ此れをかりて精明をがんことを図るのみ

また『夢中問答』には、次のような夢窓疎石の言葉があります。

山水に得失なし 得失は人の心にあり

自然の中で人間のありようを見つめた夢窓疎石ですから、百パーセントでなくても、開基に関わった寺で庭造りに手を染めたことは否定できないのでは…と個人的には思っていますし、庭の作者が夢窓疎石でなかったとしても、それはそれで構わないとも思います。土岐川の自然に包まれた庭というもう一つの自然がここにあり、それが今も心に平穏をもたらしてくれる。単純なことのようだけれどこれはとても難しいことで、そこに庭に吹き込まれた作庭者の思いの強さを感じます。

 

永保寺庭園の奥、僊壺洞せんこぼらに、夢窓疎石と元翁本元(仏徳禅師)をお祀りする開山堂(国宝)がひっそりと佇んでいます。すぐ近くを土岐川の小さな支流が流れ、周囲は木立。幽邃の場所です。観音堂と同じ入母屋造の檜皮葺で、柵内に入ることができないため正面の礼堂しか目にすることができませんが、その奥に相の間と祠堂(内陣)が続いています。

 

境内をゆっくりと巡った後、東の方向へ歩いていくと土岐川に出ました。これほどのお寺なのに、周囲に塀を巡らせていません。そのため庭は土岐川の自然と見事に共生している感じがします。

現在永保寺は雲水の修行のための寺で観光寺院ではありませんので、受付もありません。(拝観料もなしです)山門にあたる黒門は国宝の建物を二つ持つ禅寺にしては簡素ですが、そういうところもまた永保寺の魅力です。

 

 

 

 

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