野洲川を渡り、一時間ほど静かな町を歩いたころ、「天然記念物うつくしまつ自生地」と書かれた表示に目が留まりました。
地図を見ると東海道から南に一キロほど入ったところに美松山という低山があり、そこに天然記念物の「うつくしまつ」が自生しているようです。「うつくしまつ」という名前に惹かれ、早速行ってみると、道は美松山に向かうなだらかな上り坂。途中までは民家がありますが、やがて民家も途切れ山道らしくなってきます。まだ紅葉が残る木々を見ながらさらに上っていくと、公園のように開けた斜面が現れ、そこを覆うようにたくさんの松が生えていました。
遠目には赤松林に見えますが、近づくと松は根元から幹を放射状に拡げ、箒か傘のような形をしています。これが「うつくしまつ」、赤松の変種とのことですが、このような形になるのは日本でもここだけ、しかも美松山の南東斜面に限られるというから不思議です。
うつくしまつはその珍しさから古来東海道を歩く旅人たちにも広く知られていたようで、『東海道名所図会』にも次のように紹介されています。
美松と号することは、松の葉細く艶ありて、四時変ぜず蒼々たり。松の高さ小大あり。 大樹は根より四五尺までは、株つねの雄松のごとし。それより枝々数十にわかれ、近く 視れば蓋のごとく、遠く眺めば側柏に似たり。
続けて、この松は他の場所に移すと枯れてしまうとも書かれています。それが事実なら自然の神秘としか言いようがありませんが、ひょっとしてこの不思議の仕業は、地中奥深くに眠る古琵琶湖の名残がもたらした突然変異ではないかという気がしてしまいます。
ちなみに、うつくし松にはこんな伝説があります。
平安時代、病弱だった藤原頼平が静養のためにこの地を訪れていたとき、突然数人の天女が木々の間から舞い下り、自分たちは京都西山の松尾明神の使いで、頼平様をお護りするためにやってきたと言うと、美しい歌声と共に華麗な舞を披露しました。頼平は感涙にむせびながらその様子を眺めていましたが、ふと我に返ると周囲の松が見たこともないような美しい姿に変わり、天女の姿はどこにもありません。驚いた頼平が文徳天皇に報告したところ、天皇は勅使を派遣して事の真実を確かめ、美し松と命名したとのこと。
伝説にすぎないと言ってしまえばそれまでですが、うつくし松を前にすると、伝説は土地の力によって生み出された、その土地の宝なのだと思えてきます。