石部の南六キロほどのところにある標高六九三メートルの阿星山の北東麓に、二つの天台宗の古刹があります。
一つは東寺とも呼ばれる長寿寺、もう一つは西寺とも呼ばれる常楽寺。どちらも奈良時代に良弁が紫香楽宮の鬼門鎮護の寺として開いたもので、平安時代にかけて阿星山の麓に多くの寺院が建ち並び天台宗の一大仏教圏を形成、阿星山五千坊と呼ばれていましたが、現在残っているのは長寿寺と常楽寺だけになりました。
今回は長寿寺の様子をご紹介します。
長寿寺の創建は奈良時代の天平年間(七二九~七四九)。紫香楽宮の鬼門鎮護のために創建されましたが、世継ぎのなかった聖武天皇のため、良弁が阿星山中の滝で祈りを捧げたところ、間もなく皇女が誕生したことから、聖武天皇は我が子の長寿を願って七堂伽藍二十四坊の寺を建立し長寿寺と名付けたという話も伝わっています。
鎌倉時代には源頼朝、室町時代には足利氏の祈願所として発展しますが、天正年間に織田信長により三重塔が安土城の総見寺に、楼門は栗東市の蓮台寺に移築されたため、現在境内に残っているのは国宝の本殿と重要文化財の弁天堂のみです。
冒頭と下の写真は、檜皮葺の屋根が美しい本殿。鎌倉時代初期に再建されたもので、ここに行基作と伝わるご本尊の地蔵菩薩(秘仏)や丈六の阿弥陀如来座像が安置されています。
こちらは室町時代末に建てられた弁天堂(重要文化財)。中に弁財天座像がお祀りされています。
現在長楽寺に残る古い建物は本堂と弁天堂だけになりましたが、美しくかつ堂々としたこれらの建物から、往事の繁栄を思い描くのはそう難しいことではありません。
山門から本堂までの参道は、いつ訪れても気持ちのよい道ですが、紅葉の時期は一層風情を増すようです。