大変な暑さの中、京都で祇園祭が行われています。
かつては祇園御霊会と呼ばれたこの祭礼は、平安時代の貞観十一年(八六九)に京の都をはじめ各地で疫病が流行したため、平安京の広大な庭園・神泉苑に当時の国の数にちなんで六十六本の鉾を立てて神を迎え祀り、災厄の除去を祈ったことに始まります。
その後規模を拡大し、室町時代にはそれぞれの町が特色ある山鉾を出すようになるも、応仁の乱で中断を余儀なくされ、明応九年(一五〇〇)に復活。町衆の力で装飾も次第に豪華になっていきました。
本来は八坂神社の祭礼ですので、勇壮な神輿の渡御やお神楽の奉納など八坂神社で行われるものも忘れてはなりませんが、やはり目が行くのは絢爛豪華な山鉾です。
陽が落ちたころ、前祭(七月十四日~十六日)の宵宵山に行ってきました。
冒頭と下の写真はは巡行の際先頭となる長刀鉾。鉾の上から笛、太鼓、鉦による祇園囃子が聞こえてきます。コンチキチンの音色で悪霊たちを誘い出して楽しい雰囲気に酔わせ、鉾町へ持ち帰って蔵に封じ込めるのが祇園囃子の役割です。遠くからお囃子の音が聞こえてくると、一気にお祭り気分が盛り上がります。
左上は放下鉾、右上は月鉾。山鉾の出る町はどこも大変な人混みですが、間近に山鉾を見ることができるのは宵宵宵山から宵山の間だけ、山鉾によっては上に上がることができるものもありますので、ここは暑さと人混みにめげず、頑張って行くしかありません。
各鉾町を歩きながら窓越しにこうした展示を見ることができるのも、この時期ならではの楽しみです。下の写真は店舗のものですが、一般の家庭でも通り沿いに屏風や絵画などを飾って、道行く人の目を楽しませてくれています。
また前祭の宵宵山から二十四日の還幸祭まで、手洗水町にある御手洗井が開かれます。
ここは祇園社の御旅所で藤井助正の居宅跡といわれ、この名水を邸内にあった牛頭天王社に奉供したと伝わります。永禄十一年(一五六八)、織田信長上洛の際に御旅所を移転しましたが、この井戸の水が格別と聞き、井戸に施錠し町人に鍵を渡して毎年祇園祭の時だけ井戸を開いて神水をふるまったということです。
ご神水をいただいて帰りました。
なお前祭は本日十七日午前九時に巡行が始まり、夕方三基の神輿が八坂神社を出発、御旅所まで渡御します。
後祭は二十一日からです。二十一日が後祭の宵宵宵山で、巡行は二十四日。二十四日の夕方神輿が八坂神社に戻られます。