四日市を出てしばらくすると日永に入ります。
日永といえば伊勢街道との追分で知られ、江戸時代には間の宿として多くの店が並び賑わったところです。
なが餅、団扇、足袋が名物でしたが、現在の日永は静かな住宅街です。
そうした中、唯一団扇だけがいまも作られていると知り、製造元の稲藤さんを訪ねてみました。
日永団扇の特徴は、細い竹をそのまま使っているため手によくなじむ上、竹を細かく割いて交互に袋状に編んでいるため弓のようにしなり、ゆっくりと扇ぐだけでたっぷりとした優しい風を送れる点にあります。
「日永の団扇はぱたぱたとやらないでこうやってゆったりと扇ぐのがいいんですよ」
そう教えていただき、実際扇いでみると、少ない動きで周囲の空気を集めたようにたっぷりとした風がきます。
把手は竹のままで、面の部分は竹を細かく割いて骨を六十四本作って編んでいきます。割く人、割いた竹を編む人、紙を貼る人と数人の職人による分業で作られる日永の団扇は、江戸時代の旅人にも大変好評で、行きに店に立ち寄り好みの柄で注文しておき、帰りにできたものを受け取って帰ったそうです。
お伊勢参りが盛んな頃は、一日に一万人近くもが日永を通ったといいますから、団扇の売れ行きも相当なものでしたが、鉄道が開通した影響で最初の打撃を被り、その後扇風機やエアコンで追い打ちをかけられ、十数軒あった店は戦後三軒に減り、ついに稲藤さんだけになってしまいました。
この店は明治十四年創業なので、日永の団扇店では後発ですが、「うちがやめてしまったら日永団扇の歴史が途絶えてしまうから頑張って続けてます」とのこと。
ちなみに、京都の団扇は挿柄といって絵を描いた扇を後から把手に挿し込んで作られています。丸亀の団扇も有名ですが、丸亀のは平柄といって大きな竹を割って削っているので平らになってます。日永の団扇は、そのいずれとも違います。
私が購入したのは、藍色の濃淡の縦縞が粋な松坂木綿の団扇です。
松坂木綿の団扇が考え出されたのは二十年ほど前だそうですが、松坂木綿といえば江戸時代江戸っ子の間で松坂木綿の普段着が大流行したことを思うと、江戸時代の旅人がこれを見たら人気の一品になったかもしれません。