鳴海宿を後にし、次の宮(熱田)を目指し北西方向に旧東海道を歩いていると、石橋の奥に立派な山門を持つ寺の前に出ます。
笠寺観音で知られる古刹、笠覆寺です。
笠覆寺は南北およそ三キロに及ぶ笠寺台地の中心にあります。現在の地形からは想像もできませんが、古代このあたりは松巨島と呼ばれ、東は鳴海潟、西は年魚市潟に囲まれた島のようになっていました。こちらの地図をご覧いただくとおわかりのように、笠覆寺のすぐ東に、現在笠寺公園があります。ここから旧石器時代から室町時代にかけての遺物、遺構が発見され、見晴台遺跡として公園内に造られた資料館で出土品などが展示されているように、ここでは太古の昔から暮らしが営まれてきました。
さて笠覆寺ですが、天平五年(七三三)善光という僧が呼続浜に漂着した霊木で十一面観音像を彫り、現在地より南に六五〇メートルほどの粕畠町に観音像をお祀りするお堂を建てたのが始まりと伝わります。当時は小松寺といいました。
それから百数十年後の平安時代、堂宇は朽ち、十一面観音像も雨露にさらされる有様。とある雨の日、そこを通りかかった娘がずぶ濡れになった観音像を見て可愛そうに思い、自分の笠をかぶせたところ、それを知った藤原兼平がその娘を見初め、都に連れ帰って妻に迎えました。この娘は後に玉照姫と呼ばれるようになりました。
後日兼平夫妻は現在地に寺を復興させ、笠覆寺と改めました。
この辺りは笠寺という地名ですが、もちろんそれは笠覆寺に由来します。
その後幾たびか栄枯盛衰を繰り返し、昭和になってから隆盛を取り戻し、現在は尾張四観音の一つとして参詣人の絶えないお寺になっています。ちなみに尾張四観音とは、中川区荒子町の荒子観音、あま市甚目寺の甚目寺観音、守山区竜泉寺の龍泉寺観音、そしてここ笠寺観音です。
立派な山門をくぐると、赤い柱が目を惹く本堂が正面に建っています。本堂の右に護摩堂が隣接、弘法大師、えびす神、不動明王像がお祀りされています。本堂内は荘厳な雰囲気。お詣りに訪れた人たちは皆さん熱心に手を合わせていました。
御本尊の十一面観音像は秘仏で、八年に一度ご開帳になります。次回は二〇二三年。
境内には行者堂、延命地蔵堂や多宝塔などがあり、いずれも江戸時代のもののようですが、笠寺台地の歴史の気配なのか、ここにいると悠久の時を感じます。
ちなみに玉照姫は美濃の豪族の娘でしたが、あまりの美しさのために不運に巻き込まれ、鳴海の長者の元で召使いをさせられていたところに、藤原兼平に見初められたということですから、その話は典型的なシンデレラストーリーです。
笠覆寺の本堂東に、最近兼平と玉照姫をお祀りする玉照堂が再建されています。また東海道を挟んだ笠覆寺の向かいにある泉増院には玉照姫の像が安置されており、縁結びに御利益があるそうです。