前回投稿した須賀神社と道を挟んだ向かいにある聖護院は、寛治四年(一〇九〇)、増誉大僧正が白河上皇の熊野詣の先達を務めた功績により、聖体護持の二字を取って聖護院という名の寺を賜ったことに始まる名刹。以後修験道本山派(天台宗系)の総本山として平安時代から歴史を刻んできました。
聖護院の節分会では三日昼過ぎの豆まきの後、宸殿前の庭で厄除けの採燈大護摩供が行われました。護摩とは護摩壇に願い事の書かれた護摩木を投げ入れてお炊きあげをし、災いや煩悩を除き幸福をもたらすよう祈りを捧げる修法です。中央に見える桧で覆われたものが護摩壇です。
午後三時、法螺貝の音を先頭に、大勢の山伏たちが護摩道場に入場すると、それに続いて導師様の入場となります。赤い傘の下に座っていらっしゃるのが導師様です。
その後、山伏問答が行われますが、この山伏問答がなかなかおもしろいのです。
山伏問答とは、本物の山伏かどうかを見極めるためのテストのようなもので、修験道の開祖やご本尊、山伏の持ち物の意味などについて答える掛け合いです。
たとえばこのような感じです。
「然からば問わん。汝仏者にして獣の皮を身につけたるいわれは如何に」
「これ引敷と申す。文殊菩薩が獅子に跨り降臨おりしを象る獅子乗の儀にして入峰修行勇猛迅速の形。無明法性円融無礙の儀にして、実用は木の根、岩角に座する行者の要具なり」
こういった問答が声高々に場外で行われた後、道場内への入場を認められます。
その後場内では、東西南北と鬼門方向に矢を放ち場を清める法弓の作法、場にいる人たちの心を清める法剣の作法、採燈大護摩の成功を願う斧の作法が行われ、いよいよ点火です。
次第に煙りが上がり、ときおり強風に煽られると、目を開けていられないほどの煙に包まれますが、それに動ぜず山伏たちは読経をあげています。やがて太鼓の音が読経に加わると、護摩法要も佳境を迎えます。
山伏たちの力強くも荘厳な祈りを前に、言いしれぬ感動を覚えました。
導師様や山伏たちが退場すると、下火になった護摩壇が崩されていきます。生の桧で覆われていた護摩壇、中は丸太が組まれていて、その丸太を一本ずつ落としていくのです。すると、神聖な火をくぐった桧を拾い集めに拝観者たちが護摩壇に近づいていきます。私もどうしようかと迷っていると、「はい、これ持っていって」と女性の山伏さんに一枝手渡されました。
激しい炎と煙に包まれた一枝が、いま家の一角で清々しい香りを放っています。