旧東海道原宿の中心部からほんの十数メートル南に入ったところに、原の素封家植松家の私庭で、かつて名園として聞こえた帯笑園があります。
普段は非公開ですが、たまたま公開されることがあり、見学させていただくことができました。
現在帯笑園は旧東海道から少し南に入ったところにありますが、かつて屋敷は街道に面し、屋敷の南側に広大な庭園が拡がっていたそうです。
帯笑園は名園といっても、庭の景色が美しいというだけの庭園ではありませんでした。もちろん築山や枯山水といった日本庭園の伝統的な要素も取り入れられていましたが、帯笑園の最大の特徴は、舶来のものも含め当時まだ珍しかった品種が数多く集められた園芸植物コレクションを展示する場だったということで、地方の素封家が手がけた庭園として他に類を見ないものでした。
旧東海道沿いという立地の良さもあって、街道を往来する大名や公家、文人など多くの人が訪れ、この庭を称賛しています。
江戸参府の途中でここを訪れたシーボルトもその一人。そのときの感動を『江戸参府紀行』にこう記しています。
日本風につくられたこの庭園は、私がこれまでにこの国で見たもののうちでいちばん美しく、観賞植物も非常に豊富である。入口には木製の台があり、いくつかの岩を配し、植木鉢には人工的に枝ぶりによく作ったマツの木がある。人に好かれているアンズ・サクラ・クサボケ・エゾノコリンゴ・カンアオイ╶╴ラン科の植物は地面にきちんと並べてあった。また近くにはツツジが群れをなし、遠くにはツバキやサザンカがあり、石をけずって作った小さい池の周りにはコリンクチナシやシダが生えていて、色とりどりのコイがこれに生気を添えている。
植松家の代々の当主はかなりの風流人で、書画などにおいてもかなりの名品をそろえていたようです。
帯笑園を訪れる人たちは、庭を愛でるだけでなく、富士山を眺めながら茶を嗜んだり、詩歌を詠んだりと、豊かな時間を過ごしたといいますから、ここは文化交流の場でもありました。
植生を維持するのは難しいことですし、現在は規模もかなり縮小され、富士山を望める茶室もありません。ところどころに残された名残から、当時の様子を想像するしかありませんが、幸い植松家には、庭の絵図や庭を訪れた人たちの芳名帳、花壇に植えられた植物の品種名など、数多くの記録が残されています。
それらは江戸時代後期から流行した園芸文化を知る貴重な資料でもあります。
来年は一月二十八日(日)、二月二十五日(日)、三月二十五日(日)に公開されます。各日とも、原浅間神社前に九時五十分に集合、先着二十名です。