四月頃の陽気になったかと思えばまた真冬に逆戻りと、このところ気温の急激な変化に振り回されています。寒がりの私は気温が十五度近い日でも寒くてたくさん着込んでいるので、なかなか春の訪れを実感できませんが、幾度となく私たちを驚かせた季節外れの陽気は植物たちをも刺激したようで、今年の梅は咲き始めるのも早かっただけでなく、満開になるのも散り始めるのも例年より早いようです。所用とお天気の都合もあってもたもたしているうちに、梅が季節を駆け抜けていくので、先日後を追うように道明寺天満宮へ行ってきました。
道明寺天満宮は古墳時代に古墳の造営や葬送儀礼に携わった土師氏が、遠祖にあたる天穂日命をお祀りしたことにはじまると伝わる古社で当初土師社と言いました。
土師氏の氏寺として建てられた土師寺(後に道明寺と改称)と共に、土師氏の足跡を伝える場所になっていますが、いまはむしろ天満宮というだけあって菅原道真の存在感の方が大きいかもしれません。菅原氏も土師氏から分かれた氏族ですから、ここに道真がお祀りされていて何の不思議もありませんが、左遷されることになった道真が住職として道明寺にいた伯母(叔母?)覚寿尼を訪ね別れを告げたと伝わるように、道真自身当地に足跡を残したことが、御祭神としてお祀りされることになった直接的な理由のようです。道真亡き後、土師寺が道明寺と改称し道真自ら彫ったと伝わる十一面観音像を御本尊としてお祀りした際、土師社境内に道真をお祀りする天満宮も創建されたとされています。天暦元年(九四七)のことです。
現在は菅原道真、天穂日命、覚寿尼の三柱がお祀りされています。拝殿は江戸時代の再建、その奥の本殿は再建ではありますが安土桃山時代の建物とのこと。拝殿脇から裏に回り込むと、梅の香りが漂ってきます。
一万坪ほどの梅園には八十種類、八百本ほどの梅が植えられ、梅を愛した道真を本殿後ろから慰めているようです。
梅園中央にある石の太鼓橋に上がると、梅を上から見下ろすことができます。あいにく半分以上散ってしまい隙間が目立ちましたが、これが満開だったら白を基調にピンク、紅の梅の花で埋めつくされた光景は、さながら朝日に照らされた雲海のようではなかったかと思います。
全体としてだいぶ散っていましたが、種類によってはこれからのものもあります。それを探して園内を散策していると、ありました。蕾みをつけた梅、いままさに満開の梅が至るところに。
そういえば昨年の三月、中高野街道を歩いている途中で偶然立ち寄った松原市の屯倉神社で、満開の梅を目にしました。ここは枝垂れ梅も多く、青空のもとで照り映えた梅はどれも見事でしたが、屯倉神社も元は天穂日命をお祀りするお社で、現在の主祭神は菅原道真と知り納得したものです。
それにしても一つの花がここまで一人の人物と結びつき、その人物を語り継ぐ例はほかにあまりありません。