二〇二三年も残り二時間ほどになりました。今年は懸案事項を一つ片付けることができ、ほんの少し気持ちが軽くなりました。来年からはまた気持ちも新たに一歩ずつと思っています。
年の瀬に伊勢の二見浦を訪ねました。
紺碧の伊勢湾の向こうにはうっすらと知多半島が見え、右手には答志島までの間に無人島が点々と続く二見浦は、広い伊勢湾に面していながら周辺との繋がりが感じられます。条件がそろえば、夫婦岩の先に富士山も見ることができるそうですから、ここが聖地になったのもよくわかります。
日本神話の最高神アマテラスは伊勢神宮の内宮に落ち着かれるまで、倭姫命とともに大和国から近江国、伊賀国、美濃国、尾張国を転々とされ、二見浦に至ってようやくその地を気に入られ、五十鈴川を遡ったところに鎮座されることになったと伝わるように、二見浦は神話世界においても玄関口になっていました。
その際鎮座地へ案内したのが、猿田彦の子孫にあたる大田命で、二見浦には猿田彦が鎮まるとされる興玉神石を御神体とする二見興玉神社があります。
拝殿横から海岸に向かって進むと、二見浦の象徴である夫婦岩が見えてきます。
御神体である興玉神石(猿田彦)は、夫婦岩の沖合にあり、注連縄の張られた夫婦岩は鳥居の役目を果たしています。あいにく興玉神石は現在暗礁になっており、直に見ることはできませんので、岩の間の先にその存在を思いながら参拝することになります。
注連縄が張られた二つの岩は、かつては立石、根尻岩と呼ばれていたそうで、いつの頃からか夫婦岩と呼ばれるようになりました。夏至の前後四ヶ月ほどは、この岩の間から太陽が昇ることから、それを目当てにその時期は多くの人が訪れ、神話としての聖地の意味合いが少し薄れていますが、古くはまず二見浦で身を清めてから伊勢神宮に向かったといいますから、ここはいわば伊勢参拝の出発地点でした。
猿田彦は瓊瓊杵尊が降臨する際、高天原から葦原中国を照らし導いたとされることから、道の神、旅の神として信仰されています。新年、心機一転一歩を踏み出すにあたり、道を照らし導いていただけることを願っています。
今年一年当ブログにアクセスしてくださり、どうもありがとうございました。皆様にも良い導きがありますように。
どうぞよいお年をお迎えください。