菅原道真は六月二十五日に生まれ、一月二十五日に太宰府に左遷され、二月二十五日に没したことから、天神様をお祀りする各地の神社ではこの日をご縁日としています。一月二十五日は初天神ということで、特に賑わいを見せますが、大阪の天満宮では鷽替神事というユニークな神事が行われました。
鷽は梅を好んでやってきたとも伝わり、天満宮と縁の深い鳥です。鷽の「うそ」が嘘に通じることから、去年一年間についた嘘を鷽に託し穢れを払ってもらおうという吉兆来福祈願の神事が鷽替神事です。
天満宮の総本山である太宰府天満宮で正月七日の夜に古来行われてきた吉兆を招く神事に由来し、各地の天満宮でも行われるようになったということのようで、太宰府天満宮では現在も一月七日に行われていますが、大阪天満宮では初天神の二十四日と二十五日の二日にわたり行われます。日時ばかりかそのやり方も神社によって異なります。東京の亀戸天神でも二十四日と二十五日にありましたが、亀戸の鷽替神事は前年に求めた一刀彫りの鷽をお返しし、巫女さんから新しい鷽をいただくというもので、言ってみれば買い換えですが、大阪天満宮の鷽替神事は全員参加型です。宮司さんのノリの良い進行につられ、神事の間それが神事であることを忘れてしまうほどその場が一体化し、マスク越しの顔から笑みがこぼれるというもので、大阪らしさに溢れています。
まずはお参りをし、参加者は十三時の開始時間まで拝殿右に並んで待ちます。(参加費は無料。手を消毒後ビニール手袋を付けさせられます。)
案内に従い順番に巫女さんから鷽鳥御守と書かれた茶色い封筒を渡されます。
この封筒は神事が終わるまで開封厳禁。
参加者全員がこの封筒を手にしたところで、太鼓の音を合図に「替えましょう、替えましょう、嘘を誠に替えましょう」と皆でかけ声をかけながら、前後左右目についた人と嘘鳥御守を交換していくのですが、老若男女、そこに宮司さんや巫女さんも加わり、皆さん右へ左へ、前へ後ろひたすら歩き回り、目のあった見知らぬ人と交換し続ける様は独特の雰囲気です。とくにこの三年ほどの間、見ず知らずの人と接触する機会がほとんどなかったので、私だけでなく皆さん初めはどことなくぎこちないのですが、ぺこりと頭を下げマスク越しに「替えましょう、替えましょう」と口ずさみながらお札を交換していくうち、訳もわからず楽しくなって、思わず笑みがこぼれてしまいます。その間進行役の宮司さんも「お父さん、仕事だと嘘をついて飲みに行ってませんか」などと言って場を盛り上げてくれると、ますます皆さん交換にも熱が入ります。同じ人と二度三度と交換ということもあり、そうなってくるとご近所の顔見知りのような感じもしてきます。十分、十五分と交換し続け、いったいいつまで続くのかと思った頃にようやく終了の合図。
交換に夢中で神事中の写真はこの一枚のみ。失敗写真ですが、雰囲気は伝わるでしょうか。
神事が終わると宮司さんの合図で開封。中に入っているのは鷽の紙のお守りです。
裏に金、銀、土、木と書かれたお札が入っていた人は、大当たり。金と銀のお札の人は、それぞれ金と銀に鷽が刻印さえれたお守りと、土、木のお札の人は木彫の鷽をいただくことができます。何も書かれていないお札は、それをお守りとして持ち帰るということで、私はご覧の通りでしたが、二十分程度の鷽替神事に参加してもう十分福を頂いた気分です。
大阪の藤井寺市にある道明寺天満宮で行われる鷽替神事も、大阪天満宮とほぼ同じやり方です。他の地域はわかりませんが、見知らぬ人同士交換しあう参加型のやり方は大阪ならではなのかもしれません。
ちなみに大阪天満宮が鎮座する場所は、飛鳥時代の白雉元年(六五〇)孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を造営した際、都の北西にあたり、当地では八衢比古神、八衢比売神、久那斗神をお祀りし、鬼や物の怪が都に入らないように守護する道饗祭が年に二回行われていました。後にそこに創建されたのが現在摂社になっている大将軍社です。道饗祭の故事にちなみ、大将軍社の石畳は北西向きに敷かれているそうです。
それから二百五十一年後の延喜元年(九〇一)に菅原道真が太宰府に左遷される際、旅の安全を祈願して大将軍社に参詣されます。その後道真が亡くなり天神信仰が広まりだした天暦三年(九四九)、大将軍社の前に七本の松が生え夜ごとに霊光を放つようになり、それを耳にした村上天皇の勅命で当地に天満宮が創建されたとのことです。
こちらが現在摂社の大将軍社、境内の北にお祀りされています。
境内には多くの摂末社があり、一社一社丁寧にお詣りしている人が何人もいて、天満の天神さんとして親しまれ信仰されていることが随所で感じられます。
七月二十四日、二十五日には天神祭が盛大に行われます。酷暑の時期のお祭で出かけるにも覚悟が必要ですが、年の初めに福をいただいたので、夏の天神祭にも足を運んでみようかと思っています。