新しい年が始まりました。今年も記憶に留め置きたい土地や寺社の話題を中心に投稿してまいりますので、ご覧いただけましたら幸いです。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2023年最初の投稿は愛知県蒲郡市の八百富神社についてです。
八百富神社は三河湾に浮かぶ竹島全体を社域としています。その名前から、弁才天信仰で知られる琵琶湖の竹生島を連想しますが、事実八百富神社も弁才天信仰を伝えています。
八百富神社の社伝では、創建は平安時代末の養和元年(一一八一)、当時三河国国司だった藤原俊成が竹島の姿が琵琶湖に浮かぶ竹生島と似ていることから、竹生島の弁才天を勧進したということで、創建由来からも竹生島との関係がうかがえます。ちなみに竹島という名前も、竹のなかったこの島に竹生島の竹を御神体として植えたことから付けられたものと伝わっています。
慶長五年(一六〇一)に徳川家康が会津に向かう途中竹島に立ち寄って以降、徳川家の将軍たちとの関係が深まり、享保二十年(一七三五)には白川伯王家(皇室の祭祀を代々司ってきた公家)の雅富王から八百富神の神号を賜り、禁中から翠簾や紋章入りの提灯が下賜されたとも伝わります。
八百富神社と称されるようになったのはおそらく明治の神仏分離後で、それまでは弁才天信仰の聖地として広く信仰されてきたのでしょう。その際どのように呼ばれていたのか、確かなことはわかりませんが、竹島弁天といったところではなかったかと推測します。
琵琶湖の竹生島から弁才天を勧進したという話は、当時の弁才天信仰の広まりを伝えるもので、日本三弁天として有名な宮島や江ノ島のほか、宮城の金華山や富士山、奈良県の天河といった聖地は、いずれも神仏習合が盛んになった時代にそれまで祀られていた神々と仏教の守護神として日本にもたらされた弁才天が習合し、日本独自の弁才天として信仰をあつめていった興味深い歴史を有しています。
弁才天はもとはインドのサラスヴァーティ河を神格化した水の女神です。幸福、学問、音楽、弁舌、除災にご利益をもたらす仏教の守護神として伝わり、日本古来の穀神や海の神と習合していったことで、さらに食物や富、交通安全、名誉、武力といったほとんどすべての人間の願いを叶えてくれる神様に進化していったのが日本の弁才天です。
各地の寺社を訪ねると、頻繁にお目にかかる神様がいらっしゃいます。お稲荷さんがその最たるものですが、弁才天も負けてはいません。海、湖、川、池といった水のあるところにはたいてい弁才天がお祀りされていて、いまなお篤く信仰されているのを感じますが、それは弁才天が私たちの願いの大半を叶えてくださるうえ、水や大地と結びついた神様ということで一般庶民にも親しみやすかったためで、その点では穀物神であるお稲荷さんと似ています。(弁才天は稲荷神と夫婦神であるとか同一神とされることもありました)
そうした弁才天の多くは、明治の神仏分離によって宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命や宗像三女神として神社にお祀りされるようになり、竹島の八百富神社もその例に漏れません。小さなこの島には市杵嶋姫命をお祀りする本殿のほか、神仏習合時代の歴史を伝える境内社もありますので、前置きはこのくらいにして早速境内へ。
竹島は花崗岩でできた周囲約六百二十メートル、標高約二十四メートル、面積約五千八百坪の小さな島で、陸地からは四百メートルほど離れていますが、現在は橋によって繋がっています。橋が架けられたのは昭和七年(一九三二)で、それ以前は船で行き来をするか、十二年に一度のご開帳の際臨時に渡された木橋を渡り境内に足を踏み入れたとのことですから、普段は陸地にある遙拝所(写真下)から参拝する人の方が多かったかもしれません。
最初の橋は、名古屋の呉服商の五代目で実業家の滝信四郎(現在のタキヒヨー代表)により私費で建設されました。現在の橋は昭和六十一年(一九八六)に架け替えられた二代目です(下の写真は竹島から陸地を見たところ)。現在の橋の長さは三八七メートル。強風に煽られながら五分ほどで島に到着します。
ご覧のように、竹島全体厚い樹木に覆われています。
八百富神社の社叢は陸地から四百メートルほどしか離れていないにもかかわらず、陸地の黒松林とは植生の異なる常緑広葉樹で覆われ、神域ということで長年伐採されずにきたため原生林の姿を留めていることから、昭和五年(一九三〇)に国の天然記念物に指定されています。
百段ほどの石段を上がると
三つ目の鳥居の先が島の最高地点になり、本殿と拝殿のほか四つの摂末社の社殿が建ち並んでいます。鳥居奥、最初に見えるのは宇賀神社です。
御祭神は宇迦之御魂神とあります。宇迦は稲霊を表す言葉で、宇迦之御魂神は記紀神話に登場する穀物神です。伏見稲荷大社の主祭神でもあり、稲荷神として広く信仰されていますが、豊かな稲を実らせるためには大地と水が必要で、それが弁才天のもつ神格と重なることから、この二神は混同されたり同一視されたりするようになりました。宇賀弁才天と呼ばれるのがそれで、六臂の弁才天に稲荷神のシンボルである鍵と宝珠を持つ二臂を加えた姿であったり、人頭蛇身であったり、頭部に稲荷鳥居を乗せていたりと、様々な姿で表されています。琵琶湖の竹生島にも頭に宇賀神と鳥居を乗せた宇賀弁天坐像が伝わっています。ここ竹島の宇賀神社も、おそらくそうした神仏習合時代の宇賀弁才天の存在を伝えるものではないかと思います。この社殿は三の鳥居を入った正面にあって、これからご紹介する他の境内社よりも立派なことから、かつて当社において重要な存在だったのではないかと想像したくなります。
宇賀神社と斜めに向き合うような位置(南東)には大黒神社があります。大黒神社というので以前は大黒天をお祀りしていたのでしょう、現在は大国主命がお祀りされています。大黒天は七福神の一柱として有名ですが、弁才天同様元はインドの神で、青黒い体をした破壊と豊穣を司る仏教の守護神として日本に伝わり、やがて大国主命と混同あるいは習合されると豊穣の神としての面が残ったようです。大黒天というとベレー帽をかぶり打ち出の小槌と福袋を手に米俵に乗った姿を思いますが、最澄が最初に比叡山にお祀りしたときはすさまじい憤怒相で、戦闘神としての面が強調されていたようです。福神として毘沙門天、弁才天と共に三神をまとめて三面大黒天として表されることもありましたので、弁才天と大黒天は縁の深い関係にありました。ここに大黒神社がお祭りされているのは、そうしたことを伝えているのかもしれません。
大黒神社の隣(南)には藤原俊成をお祀りする千歳神社。俊成は久安元年(一一四五)十二月から五年(一一四九)四月まで三河国の国司を務め、竹谷荘と蒲形荘の開発を手がけたと伝わります。長命だったことから、千歳神社と名付けられたのではないでしょうか。
宇賀神社から南に進んだ先の正面に拝殿、さらにその奥に本殿があり、ここに市杵嶋姫命がお祀りされています。これらの社殿は陸地のある北向きに建てられています。
冒頭で少し触れたように、市杵嶋姫命は宗像三女神の一柱です。神話において天照大神と素戔嗚尊の誓約により、朝鮮半島や大陸に通じる海の道に降臨したのが宗像三女神で、海路をはじめとする道の最高神としてヤマト大王家から篤く信仰されました。玄界灘周辺に勢力を張っていた海人族である宗像氏が祖神として三女神をお祀りしたのが福岡県にある宗像大社です。国家祭祀においても重要な役割を果たしてきましたが、市杵嶋姫命は三女神の三女として、海の神、航海(交通)安全の神としてだけでなく、五穀豊穣、豊漁、商売繁盛、芸能といった面での御利益も大きく、それに加えて大変な美貌の持ち主であったことから、弁才天と習合しやすかったようです。明治の神仏分離でそれまでお祀りされてきた弁才天に代わり市杵嶋姫命がお祀りされたのでしょうが、地理的条件から、弁才天がお祀りされる以前すでにここに宗像氏の信仰の足跡があったのではないかと思いたくなります。
社殿を空から包み込むように木々が高く生い茂っています。神域ということで手つかずにこれまできたという樹木です。
境内のさらに南には八大龍神社があります。幟に八大龍王とありますが、八大龍王は仏法を守護する護法神のうち、水に関する龍族の八王のことです。ここにお祀りされているのは豊玉彦命とあります。豊玉彦命は海神の綿津見神と同一で、海幸山幸神話にも登場するように神話における海神ですが、豊玉彦命(綿津見神)は海に棲む竜神とされることもあります。
弁才天は河が神格化されて生まれた女神ですが、河の蛇行する姿から弁才天自身も蛇(龍)と関わりがあるとされ、蛇の姿で弁才天をお祀りするところもあるほどです。琵琶湖の竹生島でも龍神がお祀りされているように、弁才天と蛇、あるいは龍神は縁の深い関係にあります。
八大龍神社の先、うねるように生い茂る松などの樹木を見ながら遊歩道を進むと、島の南端に出ます。
南端の龍神岬からは三河大島を望むことができます。三河大島にも三河大島神社や宇賀龍神社がありますが、現在は信仰の島というより海水浴場になっています。ただ宇賀龍神社があることから、竹島との繋がりが伺えます。
強風に吹かれながら島の周りをぐるり。
風は強くとも三河湾の海は穏やかです。
当社のHPを見ると、今も御祭神を「竹島弁才天(市杵嶋姫命)」としています。弁才天をお祀りしていたところの多くは明治の神仏分離で弁才天を引っ込めて、市杵嶋姫命(あるいは宗像三女神)を全面に出しますが、人々の間に浸透した弁才天信仰の力をすぐに押さえこむことなどできません。それだけ日本式弁才天の力は大きく人々の心を捉えてきたということです。これを機に天河辨財天などまだお参りしたことのないところにも足を延ばしてみたくなりました。
日本古来の神々と弁才天が混淆しパワーアップした女神の力がこれをご覧くださった皆様のところにも届き、今年一年安寧に過ごすことができますように。