昨年五月に刊行が開始された『テオリア 高橋英夫著作集』もおかげさまで順調に巻を重ね、このたび第五巻が出ました。
第五巻のテーマは古典です。講談社から単行本と文庫で出していただいた『ミクロコスモス 松尾芭蕉に向かって』と岩波新書の『西行』が全編収録され、その二作品を繋ぐように、中間に『芭蕉遠近』(小沢書店)からの抜粋が収められています。校正を初めて目にしたとき、この見事な編集は長谷川郁夫氏だからこそと感銘を受けました。
私ごとになりますが、校正作業中、思わず手を止め何度も読み返した一節があります。それは『芭蕉遠近』の「発見と再生の旅路 西欧紀行文と『おくのほそ道』」に記されているもので、「紀行文には長い歴史がある、というのではない。人類史的歴史が紀行文の背景にあるのだ。」という一文から展開する一節。その一部を引用します。
『おくのほそ道』は、実際に奥州旅行の行われた元禄二年(一六八九)よりも後で、長い時間をかけて完成された。推敲が済んで能筆家素龍に清書依頼がなされたのが元禄七年であったことは知られているし、この紀行が旅の事実そのままを伝えたものでなく、大小のフィクションを含んでいることはそれ以上に知られている。一方ゲーテの『イタリア紀行』にも同様の事情があった。旅は一七八六年から八八年にかけてであり、出発時にゲーテは三十七歳だったが、紀行の刊行ははるか後年まで遅れ、第一部が一八一六年、ゲーテ六十七歳の時である。その間に三十年が経過している。更に第二部はその翌年の刊、第三部に当る『第二次ローマ滞在』に至っては一八二九年、八十歳の歳に出版された。
『おくのほそ道』の旅から作品完成までの五年と、『イタリア紀行』の場合の三十年から四十年とでは、遅れての成立という共通点を指摘するよりは、時差の甚しさから予測される質的差異の方を重く見るべきなのかもしれない。しかしその差異にしても、作品の内的構造を精査する立場においてはじめて意味をもつと考え、ここでは五年と三十年の差は大であるにせよ、芸術作品としての紀行を生むための共通時差を共に含むと解した。すなわち紀行は時差によって成立する芸術なのであり、紀行において作者の心の中枢部を占めていたのも芸術であったと受けとると、これはどちらも芸術による芸術の発見というふうに規定してゆくことができる。尤もこれは、芸術至上主義を意味するものではない。その中に「発見」、つまり未知のものの追究と獲得というダイナミックスを内蔵しているために、単なる芸術至上主義ではないのである。
旅を切り口に芭蕉の『おくのほそ道』と西欧紀行文とを比較することをテーマとした「発見と再生の旅路 西欧紀行文と『おくのほそ道』」は一九八九年に発表されたものなので、およそ三十年前の文章になりますが、第五巻の校正作業を行っていた当時の私はこの箇所で手が止まり、あの偉大な芭蕉もゲーテも紀行を刊行するまでにそれだけの時間を要していたのかと驚き、勇気づけられたことを思い出します。
拙著の刊行と時期が重なったため、つい個人的なことを書きましたが、ここに引用した文章は収録された文章の中のごく一節にすぎません。
芭蕉から西行へと筆が移る経緯なども感じていただきながら、実際に本を手に取っていただけたましたら幸いです。
なお今回の表紙は『西行』冒頭の直筆原稿です。
名編集による芭蕉と西行論。じっくりとお読みいただけましたら幸いです。