旧東海道神奈川宿の中心を過ぎると、道は上り坂になります。その途中にある青木橋から東西を眺めると、それぞれに小高い丘があることに気づきます。現在青木橋の下は深く掘り下げられ、JRと京浜急行の線路が通っていますが、かつてこの東西の丘は一続きで、権現山と呼ばれていました。
この権現山で、東国における戦国時代の幕開けを告げる合戦がありました。
戦国時代の永正七年(一五一〇)、関東進出を目論んだ北条早雲は、扇谷上杉朝良の家臣・上田政盛を寝返らせ権現山城に据えますが、その動きに危機感を抱いた朝良は、すぐさま権現山城を攻撃しました。
この朝良の出兵に、それまで反目しあっていた山内上杉氏も結託。九日間の激戦の末、北条軍は上杉連合軍に破れ、権現山城は落城。これが権現山の合戦です。
権現山は相模国東部の要衝の一つ。しかも江戸と鎌倉を扼する要地でもありました。早雲がここを重視したのはそのためで、逆に上杉氏としてはここを北条氏に取られてしまうことは何としても避けたいことでした。
早雲は権現山の合戦では敗れましたが、その六年後には相模国を平定。早雲亡き後も後北条氏は小田原を中心に勢力を拡大し、最盛期には関八州二百四十万石を支配するまでになりました。
権現山は現在幸ヶ谷公園になっています。安政六年(一八五九)、神奈川台場築城の土取場として削平され、城の遺構は全く残っていませんが、戦国時代の映像を脳裏に呼び起こすのに、このひとけのない静かな公園は案外いいものです。