気がつけばもう六月の終わり。夏越の祓の時期になりました。
いろいろ取材したい場所はあるものの、今は他に優先すべきことがあってなかなか出ることができません。巣ごもり生活が続くと、たまには空想上の小旅行で気分転換をしたくなります。数年前の訪問になりますが、前回投稿した龍田大社との繋がりから、廣瀬大社の様子を少し書きたいと思います。
龍田大社が風を司る神様をお祀りしているのに対し、廣瀬大社がお祀りしているのは水を司る神様です。主祭神は若宇加能売命。記紀神話には出てきませんが、伊勢神宮外宮の豊宇気比売大神や伏見稲荷の宇加之御魂神と同神とされています。崇神天皇の代に、竜神のお告げで沼地が一夜にして陸地に変わり橘がたくさん生えたことから、当地に廣瀬大忌神をお祀りした、というのが廣瀬大社に伝わる創建由来です。
橘は記・紀において常世の国に遣わされた田道間守が持ち帰った不老不死の霊薬「非時香菓」であるとされる柑橘です。創建由来に橘が出てくるのは、当地がそれだけ重要だったということなのでしょうか。
廣瀬大社が鎮座しているのは、法隆寺の南二キロほどの、奈良県北葛城郡河合町川合。その地名からもわかるように、大和川と曽我川の合流地点にありますが、もう少し俯瞰すると少し上流では寺川や飛鳥川が、下流では富雄川が大和川に流れ混んでいます。つまりここは、大和盆地を流れるすべての川が大和川に合流する場所なのです。大和川は大和と難波(あるいは河内)を結ぶ水の道ですから、古代において大和川を押さえることが政治的にも必須でした。
前回投稿した龍田大社は天武・持統朝において整えられていきましたが、ここ廣瀬大社も同様で、龍田大社の風神祭に対し廣瀬大社では大忌祭が国家主導で行われました。大忌祭は農業に欠かせない水に対し祈りをささげ、風神が作物を傷めないよう風神を大いに忌む祭に由来します。現在は八月に大忌祭が行われていますが、二月に行われている砂かけ祭は、古代に行われていた大忌祭の一神事だそうで、現在廣瀬大社の神事の中でも大きな扱いを受けているのは、ここに古代の祈りの形が残されているからなのでしょう。
一の鳥居をくぐると、木立に覆われた長い参道が北に向かってのびています。梅雨の晴れ間の太陽をほどよく遮ってくれる厚みのある杜が残っています。
二ノ鳥居をくぐると、ちょうど夏越の祓の時期だったので、茅の輪が用意されていました。
一年の半分が終わったこの時期、今年前半の穢れを祓い無事に過ごせたことを感謝し、後半の健康と厄除けを祈願するのが夏越の祓。全国各地で行われていますが、廣瀬大社の茅の輪は他であまり見ない装飾が施されています。
今年の夏越の大祓式は六月三十日の十六時からだそうです。あいにく今年は参列はできそうにありませんので、茅の輪をくぐるイメージをしながら、神様に後半の無事を祈りたいと思います。
夏越の祓が終わると、いよいよ本格的な夏がやってきます。