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十二月五日発行の「仏教タイムス」2833号に岡本勝人著『詩的水平線―萩原朔太郎から小林秀雄と西脇順三郎』(響文社)の書評が掲載されました。
『詩的水平線』は詩人・文芸評論家岡本氏による四作目の評論集です。
「仏教タイムス」は定期購読新聞で市販されておりませんので、掲載箇所をこちらにアップいたしました。私にとって久しぶりの文芸書評です。お読みいただけましたら幸いです。
詩人でもある岡本氏は、現代社会における詩の存在意義を常に自問しながら、詩作と評論活動を続けてきた。その過程で、萩原朔太郎以後もたらされた詩と詩的表現の豊穣な大地に、両雄として並び立つ二人の文学者―小林秀雄と西脇順三郎―の根底に息づく共通項を見出した。
本書に収められた六篇の評論は、西脇論を中心に据えながら、小林は評論において、西脇は詩において、それぞれが織りなした言葉のタペストリーから浮かび上がって見えてきた共通項に迫り、それを浮き彫りにする試みであり、同時に現代における詩のあり方と可能性を示唆するものである。
二人の共通項とは何か。小林は明治35年、西脇は27年生まれで、ほぼ同時代を生きたことに加え、二人は「直観の詩人であり、貫道の批評家であり、横超する学者の顔」を持っていたが、ここでいう共通項とはより本質的で深層的なことだ。あえてそれを一言で言い表すなら「詩的芸術」ということになるが、さらに踏み込んだ説明を加えるなら、西洋と東洋の間の身体的かつ精神的な往還を経て獲得することのできた、詩(詩的表現)と絵画と音楽の間を自由に行き来し、融合したり交差したりすることが可能な芸術の真髄、元素のようなもの、ということになるだろう。
その微妙なニュアンスは、岡本氏自身の表現にも見出すことができる。「おわりに」に記された詩的な一文を引用しよう。
「音楽は、こころのなかの言葉の絵であり、絵画は、風景のなかの言葉の音性であり、詩と音楽と絵画は、相互の内密性に息づいている。」
詩をはじめ言葉による様々な表現が、映像や音声といったテクノロジーの蟻地獄に吸い寄せられ、存在意義を見失いかけている今、言語表現の救世主となりうるのは、詩・絵画・音楽が融合し三位一体となった芸術的「共通感覚」であるとする岡本氏の批評家としての声と、それによる救済を切望する氏の詩人としての声が、本書全般にわたり鳴り響いている。
高橋真名子