出町柳の枡形商店街を抜け、寺町通りを北に歩いていると、本満寺に次々と人が入っていきます。
桜が見頃なのかもしれないと、つられて入っていくと、妙見宮の鳥居脇で山桜が八分咲きでした。山桜にしては開花が進んでいるようです。
御所の紫宸殿を中心に十二支の方向に妙見菩薩をお祀りする霊場があり、江戸時代それらを巡礼する洛陽十二支妙見巡りが流行しました。この妙見宮は御所の北北東(丑)に鎮座し、庶民の間でも出町の妙見様として信仰を集めました。妙見菩薩をお祀りしたのは、本満寺の十四世日遠と伝わります。
妙見宮のすぐ脇にある本満寺の門をくぐると、境内には予想を超えた大きな枝垂れ桜が満開を迎えていました。
予期せぬ場所で予期せぬ風景を目にすると言葉を失います。桜の名所はそれなりに知っているつもりでしたが、本満寺のこの枝垂れについては完全に抜け落ちていました。
樹齢は九十年ほどだそうです。手入れが行き届き、空から桜の雨が降り注ぐように長い枝が地表近くまで垂れ下がっています。
枝が風にそよぎ、日の光が花々を通し地面を照らします。
桜の周りをゆっくり一周する間にも、さまざまな表情を見せてくれます。桜は私たちから声を奪い、代わりに心の声を与えてくれるようで、根元から桜を見上げる人のほとんどが各々静かに思いを巡らせています。
ときおり風が吹くと花びらが舞っているので、もってあと一週間ぐらいでしょうか。これだけの花が一斉に散る様子を想像するだけで身震いします。
本満寺は正式には廣宣流布山本願滿足寺といいます。応永十七年(一四一〇)に玉洞妙院日秀(近衛道嗣の子)により、山科の日蓮宗大本山本圀寺から分立して創建されました。当初は別の場所にあり境内も広大だったようです。戦国時代の天文年間に起きた法華一揆で焼失し、一時大阪の堺に逃れたこともありますが、天文八年(一五三九)現在地に移転し、以後後奈良天皇の勅願所として栄えました。江戸時代には多くの末寺があり、将軍家の祈願所にもなりますが、火災で幾度となく焼けています。現在の本堂は昭和になってからの再建とのこと。御本尊は十界曼荼羅。拝観はできません。
観光寺院ではないのに、桜の時期こうして境内を開放していただき、ありがたいことです。
妙見宮側からの枝垂れの様子を目に焼き付け、名残を惜しむように寺を辞しました。