暑い暑いと言いながら、行かずにはいられないのが京都の祇園祭です。七月の一ヶ月間さまざまな神事が行われてきた祇園祭も、明日三十一日の疫神社夏越祭を残すまでになりました。
先月末コロナに感染、歳のせいか思いのほか体力を奪われてしまい、今年は祇園祭は諦めざるを得ないかと思っていましたが、後祭の頃にようやく体がしっかりしてきたのでまた祭の場に身を置くことができました。今回から数回に分けて後祭の様子を投稿します。
まずは宵山の様子から。
祇園祭の山鉾巡行は本来前祭と後祭に分けて行われていましたが、昭和四十一年(一九六六)に一つにまとめられ、その後五十年近くその形で続けられてきました。前祭と後祭が復活したのは平成二十六年(二〇一四)、今年は復活から十年目にあたります。長らく休みを余儀なくされていた大船鉾や鷹山は、後祭の復活に後押しされ順次再興されましたし、現在休み山になっている布袋山も数年後の再興を目指しているようですから、後祭もこれからますます賑やかになっていくと思いますが、前祭に比べると後祭は地味な印象が否めません。けれども、そのおかげで全体に人出が少なく、道もゆとりがあって、巡行前夜の宵山でも将棋倒しの心配をせず気の向くまま山鉾町を散策できます。
この日は幸い猛暑には至らず、ときおり心地よい夜風が吹き抜けていきます。夜の帳がおり提灯に灯りがともる頃には祇園囃子が始まり、笛や鉦の音が鉾町に響き渡り祭気分を盛り上げてくれます。
暗い通りの先には提灯の灯り。そこを目指して歩いていくと、通り沿いの町屋が窓を開け放ち、座敷に飾った家宝たる屏風を通り行く人たちにお披露目してくれています。屏風をお披露目することが多いので屏風祭と呼ばれます。
下は北観音山に近い藤井家の屏風祭の様子です。窓を開けてくださっているので、格子の間から座敷に飾られた屏風などを拝見できます。
そのすぐ隣は吉田家です。京町家としては規模が大きく、ひときわ目を惹きます。祇園祭のときは通り沿いの格子を開け放ち、惜しげも無く室内のしつらえを道行く人に見せてくださっています。
京町家らしい奥行きの深さも感じられます。奥の座敷では宵山の宴が繰り広げられています。私的な空間である家の中を通りがかりの他人に見せるという習慣は日本にはありませんが、祇園祭の宵山の日に限っては、町屋もこうして仕切りを取り払い、山鉾町と一体になって祭の空間を共有しています。
こちらはお琴の家元の屏風祭です。
通り沿いでは、山鉾町が所有している懸想品などのお宝も展示されています。
下は南観音山を飾る綴れ織りの下水引「飛天奏楽図」で、原画は加山又造。南観音山は加山又造との縁が深く、京扇子の絵も加山又造によるものです。
八幡山の近くでは、八幡山保存会が所有している岡本豊彦筆「高士吟瀟弾琴図」と「摺物貼交屏風」が展示されていました。
巡行の際に山に乗せる御神体や山を飾る懸想品は、宵山(宵宵山)のときは会所に展示されています。巡行ではそれらを間近で見ることがなかなかできませんので、こうして至近距離で拝見できるのは貴重です。下は黒主山。謡曲「志賀」を題材に、大友黒主が桜の花を仰ぎ見ている姿を現しています。
巡行の際にはこの上に大友黒主などが乗せられ、一層華やかになります。
こちらは浄妙山。三井寺の僧兵筒井浄妙が橋桁を渡って一番乗りをしようとすると、一来法師がその頭上を飛び越え先陣を取られてしまったという、平家物語の宇治川の合戦の一場面を表したものです。
こちらは橋弁慶山。謡曲「橋弁慶」を題材に、弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う様子を表しています。通り沿いの会所の二階に弁慶と牛若丸が、一階に橋が展示されています。巡行の際、これらすべてが山の上に乗せられます。
巡行する山鉾の絢爛豪華な姿にはいつも圧倒されます。懸想品をすべてまとった山鉾が正装の姿とすれば、宵山で見る山鉾は舞台裏の姿といった感じかもしれませんが、そうした化粧を施す前の山鉾を訪ね歩く宵山にはまた違った楽しみ、魅力があります。巡行では目の前を通り過ぎる山鉾を立ち止まって見るので、どちらかというと受動的です。それに対して、宵山ではこちらから移動して会所に入らせていただき、懸想品を間近で拝観したり、御神体に手を合わせたり、粽を買ったり、蝋燭をお供えしたりと能動的で、鉾町に入り込んで自ら体験していくことで、一緒にお祭に参加しているような感じがしてきます。
鷹山の近くにいた時、突然鉦や太鼓、笛によるお囃子の皆さんが、演奏しながら町を練り歩き始めました。
しばらしてから南観音山のお囃子の一行も移動を始めました。私は出会えませんでしたが、北観音山も同様に出発したようです。
鉦や太鼓を吊した台車を引きながらお囃子を演じるこの一行は、御神輿が安置されている八坂神社の御旅所の前まで行き、そこで翌日の山鉾巡行時の晴天と、夕方から行われる還幸祭の無事を祈ってお囃子を奉納するのだそうです。実は鷹山のお囃子が移動を初めて間もなく、救急車のサイレンが近づいてきました。熱中症になった人がいたのかもしれません。通りの真ん中には大きな鷹山が立っており、とても救急車が通過するスペースはありません。お囃子も移動を始めたところだったので、道はかなり混雑しています。右からはサイレンの音が、左からは鉦や笛の音が近づいてきます。二つの異なる音が重なって何とも不思議な音となって喧噪を包み込んでいきます。一体どうするのだろうと思っていたところ、救急車は脇道に入り、そこで急病人の手当を始めたようで一安心でしたが、サイレンが近づいてくる間もお囃子を中断しなかったのには正直なところ驚きました。お囃子の一行はこれから御旅所に行って神様の前でお囃子を奉納します。日常とは別の次元を見た思いがしました。
翌日は山鉾巡行です。正装した豪華な山鉾の様子を後日投稿しますので、よろしければご覧ください。