古社寺風景

浄瑠璃寺

三重県と奈良県の境を南北に走る布引山地に発し、途中いくつもの河川を合わせながら山城盆地を西に進む木津川は、京都府と大阪府の境で桂川、宇治川と合流し最後大阪湾に注ぎます。木津川沿いの、とくに京都府南部の南山城は自然豊かなうえに古刹も多く、丘陵のあちらこちらに石仏や磨崖仏もあることから、折に触れ訪ねています。最初はある雑誌の磨崖仏特集の取材のためでした。浄瑠璃寺と岩船寺の間の小径に石仏や磨崖仏が点在しており、石仏の道とも呼ばれています。そこを現地の方に案内していただきながら、丸一日行ったりきたりしながら取材しているうち、石仏が丘陵の自然に溶け込み静かに佇んでいる風景にすっかり魅せられてしまいました。

一帯は旧当尾地区にあることから、いまでも当尾とうのと呼ばれます。かつて相楽郡加茂町だったあたりで、合併により現在は木津川市加茂町西小、加茂町北大門、加茂町南大門などになっています。奈良に近く南都仏教の影響を色濃く受けた当尾には、平安時代から多くの修行僧が訪れそこを修行の地としたり、南都に受け入れられなかった高僧らが隠遁の地としたりと、聖者の集まる聖地でした。当尾は、そうした僧たちによる塔があちらこちらにあった様子を表す「塔の尾」に由来すると言われます。当尾に石仏が多く見られるのは、東大寺の造営に関わった石工の存在に加え、加工しやすい花崗岩が多かったことが関係しているようですが、信仰が深く根付いた土地だったということが一番のベースにあるように思います。点在する石仏や磨崖仏は鎌倉時代から室町時代にかけて造られたものが中心で、作者のわからないものの方が多いのですが、風化に絶えた石はそこに祈りを刻んだ人たちの存在も、そこに祈りを捧げた人の存在も消すことはありません。ここに来ると、無名の人の純粋な祈りが時間を超越するということを実感します。

ちなみに当尾を訪れた僧で知られるのは、興福寺で学んだ教懐で、当地に隠遁して修行に励んだことから小田原聖人とか小田原迎接房などと称されました。小田原というのは、当尾と呼ばれる以前の当地の地名です。(教懐は晩年高野山に入り、高野聖集団を結成しています。)当尾にはこうした修行僧たちが結んだ草庵が複数あり、やがてそれが寺院に発展していきましたが、さらに時代を経て廃れたものもあります。

現在当尾の古刹として知られるのは浄瑠璃寺と岩船寺で、どちらも朱色の三重塔が印象的です。今回は新緑の浄瑠璃寺を訪ねました。

初春には馬酔木が枝垂れ咲くことで知られる参道、現在はだいぶ色濃くなってきた緑に覆われ、光と影が美しい小径です。

簡素な山門は北東向き。そこをくぐると視界が開け、池を中心にした浄土の世界が現れます。

池畔から向かって右に目を向けると、浄瑠璃寺の至宝九体阿弥陀如来像が安置されている寄せ棟造りの本堂(国宝)が見えます。

 

池にそって本堂前へ。向こう岸には朱色の三重塔(国宝)が緑の隙間から姿をのぞかせています。この三重塔には薬師如来(秘仏)がお祀りされています。浄瑠璃寺では本堂が西、三重塔が東に建ち、その間に湧水を湛えた池が拡がっています。東に建つ三重塔にお祀りされている薬師如来は太陽が昇る東方浄瑠璃世界の教主です。浄瑠璃寺の寺名の由来はそこにありますが、薬師如来はこの世に生命あるものとして送り出してくださる遣送の役目を担っているとされます。他方、現世を経て来世へと去っていくにあたり迎えてくださるのが西方浄土にいる阿弥陀如来ということで、浄瑠璃寺は伽藍配置でそうした仏の教えを示しています。

浄瑠璃寺という寺名が薬師如来の東方浄瑠璃世界に由来するように、創建当時の御本尊も薬師如来でしたが、現在はこちらの本堂にお祀りされている九体の阿弥陀如来像が御本尊となっています。

薬師如来を御本尊として創建されたのはいつなのかということですが、『浄瑠璃寺流記事』によると平安中期の永承二年(一〇四七)當麻寺の義明上人により本堂が建てられたとのことなので、それがお寺としての創建年になるようです。それから六年経った嘉承二年(一一〇七)に本尊を西堂に遷し、本堂を壊して作り替え、新本堂で開眼供養をしたとも先の『浄瑠璃寺流記事』に記されています。ここにある新本堂は現存する本堂と考えられ、桁行九間、九体の阿弥陀様に合わせて造られたと言われています。本来の御本尊だった薬師如来が東の三重塔に遷されたのは、それより少し後のようです。

九体の阿弥陀如来が御本尊として迎えられた背景に、平安時代中頃から流行った末法思想がありました。死後極楽浄土に行きたい願う阿弥陀信仰の隆盛により、各地に九体阿弥陀堂が建立されます。極楽往生には九通りあることから、それぞれの段階の人を極楽浄土に迎えられるよう、阿弥陀様も九体あります。本堂の向かって左にある扉から中に入ると、薄暗さに慣れる間もなく、金色に輝く九体の阿弥陀如来像が目に飛び込んできます。そのお姿はゆったりとしており、丸く優しい顔でお参りに訪れる人を包み込んでくれるようです。極楽往生を切に願う平安時代の人がこの姿にどれほど救われたか想像に難くありません。

造像時期については諸説あり確かなことはわかりませんが、本堂は九体の阿弥陀如来像に合わせて造られているので、本堂建立の時代かもしれません。中央に丈六の中尊、その左右にそれぞれ四体ずつ半丈六の阿弥陀如来坐像が横一列に配されています。中尊は宇治の平等院の阿弥陀如坐像と様式的に似ていると言われます。平等院の阿弥陀如来坐像は定朝作。当尾は奈良に近いと同時に宇治とも近距離にあります。浄瑠璃寺の阿弥陀如来坐像の作者は不詳ですが、来世へ導いてくださる阿弥陀様の理想の姿として、共通の思いが土地にしみわたる様に拡がっていたのかもしれません。ちなみにこの中尊は建物外の池を挟んだ対岸にある三重塔にお祀りされている薬師如来像と対面するようになっているとか。撮影禁止のため、『古寺巡礼 京都 浄瑠璃寺』(淡交社)にある内陣を撮影した一枚をここにあげましたが、堂内の静寂、やわらかな雰囲気は感じとっていただけるのではと思います。

九体阿弥陀堂の多くは天皇家や貴族らの勅願で建てられたものがほとんどで、浄瑠璃寺のように一地方豪族の手によるものは珍しいそうです。九体阿弥陀堂は三十ほどありましたが、現存するのは浄瑠璃寺だけになりました。しかも浄瑠璃寺では九体の阿弥陀如来像も完全に残っています。(本堂建物と阿弥陀如来像は国宝)昨年九体の修復が終わった記念に東京国立博物館で南山城の仏像展が開催され、九体のうちの一体が東京まで出張されました。美術館ではくまなく光が当てられ細部までよく見ることができたようで貴重な機会だったと思いますが、この堂内の雰囲気を何度か体験していると、阿弥陀様は薄暗い堂内で静かに手を合わせるべきもので、つぶさに観察する対象ではないという気がしてなりません。ある意味細部はわからなくてもいいのです。九体が横一列に並び醸し出す気配が感じられさえすれば。

堂内には四天王立像(国宝 うち二体は京都と東京の国立博物館に寄託されています)や吉祥天立像(秘仏 重要文化財)、子安地蔵菩薩像(重要文化財)、不動明王三尊像(重要文化財)も安置されており、圧倒的な造形が生み出す祈り、願いの強さに感じ入りました。

 

 

本堂を後にし、池の南から境内東に建つ三重塔に向かいます。

 

池は宝池と呼ばれ、浄土庭園の中心を占めています。久安六年(一一五〇)浄瑠璃寺に入った興福寺の僧恵信が伽藍の整備をした際、庭園も整えられたようです。本堂側が彼岸、三重塔側が此岸で、池の中央には弁才天を祀る島があります。

 

新緑の小径を上がっていくと、三重塔が見えてきます。『浄瑠璃寺流記事』によると、この塔は治承二年(一一七八)京都の一条大宮から移築されたもので、元は仏舎利を納める塔だったようです。浄瑠璃寺に移築されると、初層に薬師如来が安置されました。薬師如来は毎月八日と彼岸の中日にのみ拝観できる秘仏で、堂内はまだ実際に目にしたことはありませんが、写真などから薬師如来像は脣や衣に赤い色彩が残り、穏やかでありながら威厳のある姿をされています。

 

三重塔から境内を見下ろすと、浄瑠璃寺が木々に抱かれながら、浄土世界を守ってきた様子がわかります。池の中程、島の先端に石が立っていますが、本堂と三重塔の中心を結ぶ線上にあるとのことで、目に見えない糸で結ばれているようです。

池のところでも触れましたが、草庵のような簡素な姿で始まった浄瑠璃寺を浄土世界を表す寺に発展させたのは恵信でした。恵信は平安末期に摂政・関白・太政大臣などを務めた藤原忠通の子で、興福寺の門跡一乗院に権別当として入りましたが、寺に不満を抱き、小田原(当尾)に隠棲していました。恵信は浄瑠璃寺に入ると、そこを一乗院の祈願所とし、伽藍整備に力を尽くしたのです。恵信はその後興福寺別当に返り咲き、さらに二十年ほどして三重塔が京都から移築され、現在見る浄瑠璃寺が完成しました。恵信の貢献の背景には藤原氏の力があったということになりますが、浄瑠璃寺が素朴な雰囲気を保っているのは、当尾という土地柄のせいかもしれません。名も無き石工が石仏を刻んだ山里に、藤原氏の威光は似つかわしくありません。土地が浄瑠璃寺を育て守り続けてきたという気がしています。

 

 

 

 

 

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