京都では一年を通じそれぞれの季節を象徴するような祭事が多彩に受け継がれているということに驚かされます。節分もその一つで実に変化に富んでいます。
今年の節分は少し欲張って、徒歩圏内の五つの寺社で節分の雰囲気に触れましたが、寺社の歴史がそれぞれ異なるように節分会も趣きが異なり、改めて京都の歴史文化の奥深さに感じ入りました。
まず向かったのは祇園の八坂神社です。八坂神社では二日と三日に舞妓さんたちの舞踊奉納があり、その後年女年男も加わっての豆まきが行われます。美しい踊りで神様に良い気分になっていただき、厄除けの威力をさらに増強していただこうということなのだとしたら、何とも奥ゆかしいやり方です。
舞妓さんによる踊りの奉納は一日二回、計四回あります。私が見たのは祇園甲部歌舞会の皆さんによる奉納舞踊。歌は聞こえど、踊りは人の頭でほとんど見えず、前方の人が撮影しているスマホの動画や手を伸ばして撮影した写真によって、人垣の向こうではこんなことが行われていたのかとわかったのですが、はんなりと美しい舞でした。
続いて向かったのは岡崎の平安神宮です。
平安神宮自体は明治二十八年の創建と新しい神社ですが、平安時代に宮中で行われていた祓え(鬼遣らい)行事が時代考証を元に再現され、大儺之儀として執り行われています。到着するとすぐにその行事が始まりました。斎場となるのは、大極殿前の広場で、注連縄が張られ聖域が作られています。
朱色の大極殿前で色とりどりの装束に身を包んだ人たちが、ゆったりとした動作で祓えの儀式を行っていきます。儀式半ば、方相氏という鬼を追い払う役目の役人が子供たちと共に入場し、大きくゆったりした声で「鬼やらう」と唱えながら、斎場を三回ほど周回します。
その後一行は正面の應天門の外に消えていきました。上は一連の祭事を終え、戻ってきたところです。ゆったりとした所作で行われる観念的な鬼遣らいは、色彩の美しさもあって印象に残りました。ちなみに平安神宮ではこの後、追い払われたはずの鬼が戻ってきて境内で暴れ、豆で撃退されるそうです。時間の都合で鬼の登場前に次に移動してしまいましたが、観念的な鬼と、姿形あるものとして表現された鬼との対比が平安神宮の節分会の特徴かもしれません。
さて次は本山修験宗の総本山である聖護院です。
修験道の開祖役行者が鬼の夫婦を改心させて弟子として以来、その子孫たちが修験者を助ける存在となったという歴史から、聖護院の節分では鬼は追放された後、福を授ける福鬼になります。十三時から行われる豆まきでは、鬼も参加して福を授けてくれるのだそうです。あいにくその様子は見ることができませんでしたが、十五時からの採燈大護摩供を前に、隣接する五大力さんに集結した山伏たちに出会うことができました。
五大力さんは正式には積善院という聖護院の塔頭です。元は別の場所にありましたが、大正時代現在地に遷されています。
法螺貝の音と共に祈祷が始まり、境内は厳粛な雰囲気に変わりました。採燈大護摩供については以前投稿しましたので、ご関心がありましたら是非そちらもご覧ください。節分に行われる山伏たちの祈祷の熱量は大変なもので、見ているだけで力を頂けます。
積善院の向かいにある須賀神社の節分といえば、懸想文売りが有名です。懸想は恋い慕うこと。懸想文は恋文です。平安時代、公家が恋文を代筆し届けたことに由来し、江戸時代になると正月に縁起物として売り歩かれるようになったそうです。
一時途絶えていたものを、縁結びにご利益のある須賀神社が復活させ、いまでは良縁を求める女性たちに人気です。境内には烏帽子に水干姿、顔を白い布で覆った懸想文売りが、梅の枝を手に懸想文を売られていました。
元は恋文から始まったものですが、良縁は男女に限るものではありません。人であっても、それ以外であっても、心に安らぎと幸せがもたらされる出会いがあったら、良縁に恵まれたということです。大きいものである必要はありません。小さな良縁が今後もあることを願い、新しい懸想文を頂きクローゼットに収めました。
この日最後に向かったのが吉田神社です。
吉田山の石段を上がり向かったのは、はじまりの神を中心に全国の神々をお祀りする大元宮です。ここ数年コロナの影響で参拝者が少なかったのですが、今年はご覧のような人出でした。
参拝の列に並んでいると、本殿に通じる参道下から上下姿の男性を先頭に数人の人が上がってきます。
吉田神社の追儺式は二日の夜に終わっているので、何の一行だろうと思っていると、鬼の面をつけた羽織袴の人が続いて現れました。鬼遣らいの保存会の人たちで、二日夜に追いやられた鬼たちは改心して福鬼になり、いまここに福を授けにやってきたのだそうです。
大元宮の鳥居前に一同が揃うと、子供たちによる鬼遣らいの歌が始まりました。祇園祭の際、山鉾町の子供たちが粽を売るときに歌う歌に調子が似ています。
その後福鬼たちは「わーっはっはっ、わーはっはっ」と扇子を振り上げながら大きな笑い声と共に福を振りまいてくれました。時間的に節分会の行事はとくにないだろうと思っていたところ、思いがけず福鬼たちから福を分けていただくことができ、立春以降は良いことがありそうな気がしてきました。
ちなみに二日の夜に行われた追儺式ですが、吉田神社でも平安時代の初めから宮中で行われてきた儀式を古式に則って伝えており、衝立を持った方相氏が赤青黄の鬼を追い遣る様子は見応えがありそうです。
各季節の始まりの前日が節分ということなら、節分は年に四回あるのに、立春前の節分だけこのように盛大に行事が行われるのは、かつてそこが一年の始まりだったからです。でもそうしたことを意識しなくても、毎年場所を変え、角度を変え、少しずつであっても京都の節分会に接した後は、気持ちが切り替わり、新しい季節に足を踏み入れた感じがします。