今年は季節の進行の速度がいつもと違ったせいか、木々の色づきも例年に比べて少し時期がずれているようで、本来なら紅葉の盛りが過ぎ冬支度に入っているはずの十二月の京都でも、まだあちらこちらで紅葉が見頃です。先月紅葉を見に行きたいと思いながら時間がとれず叶わなかったのですが、今年はそれが幸いしました。所用を終え気持ちが軽くなった先日、比叡山西麓に点在する詩仙堂や曼殊院、鷺森神社を訪ねた後、北野天満宮の御土居を訪ねたところまさに今が最盛期で、葉を落とす直前の落葉樹が全身で歌いあげているような、見事な赤のハーモニーでした。とりわけ日が落ちてからの灯りに照らされた紅葉は、さながら舞台でスポットライトを浴びているかのように堂々と華やいでいました。
御土居は京の町を敵からの襲来や洪水から守るため、天正十九年(一五九一)豊臣秀吉によってぐるりと町を取り囲むように築かれた高さ五メートルほどの土塁です。江戸時代に入り次第に取り壊されましたが、現在何カ所かに残っています。その一つが北野天満宮西側を流れる紙屋川に沿った御土居で、そこに三百五十本ほどの紅葉が植えられています。
このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに 菅原道真
宇多天皇が急なお出ましで大和国に行幸された際、幣を用意できなかったけれども、手向山の紅葉を幣として神のお心のままにお受け取りください、と道真は紅葉を神に捧げ旅の安全を祈願する気持ちを謡っています。天満宮というと梅が有名ですが、道真は紅葉にも心を寄せていました。
すべての余白を埋めつくすように、上を見ても下を見ても紅葉で埋めつくされた風景に言葉は必要ないでしょう。拙い写真でどこまでその様子をお伝えできるかわかりませんが、どうぞご覧ください。
御土居から下に目を向けると、紙屋川が見えます。
途中、進行方向向かって右手には、灯りに照らされた幻想的な御本殿(国宝)が。
御土居の散策路から、階段下の紙屋川沿いの散策路へ。
紙屋川に架かる赤い太鼓橋を渡り、川の西側へ。
夜の川面に赤が映り込むのもまた美しいです。
それなりに人出がありましたが、無言で見入る人が眼に付きます。圧倒的な美を前に人は言葉を失い、普段なら外に向かって放たれる言葉が内側に向かい、辺りは静まりかえります。紅葉狩りは行楽ですが、これは同時に自然神にまみえるための巡礼なのかもしれません。
紅葉というのは、葉を落とし冬の眠りに就く前に、今年の分の命を精一杯使い切ろうとする植物の性です。自然が自然と自然の力によって命を循環させる過程に美という大きな付加価値を添えたのもまた自然ですが、この日の幻想的で華やかな紅葉を見続けていたら、この梢のどこかに自然という衣をまとった精霊が潜んでいるような錯覚を覚えました。