六斎念仏は、平安時代に疫病が流行った際、空也上人が救済を求め太鼓や鉦を叩いて踊りながら念仏を唱えた踊躍念仏が起源で、後に六斎日に行われるようになったので六斎念仏と呼ばれるようになったといわれています。空也上人が念仏踊りを修したかどうか確証はないようですが、六波羅蜜寺では空也踊躍念仏(国の重要無形民俗文化財)が受け継がれ毎年十二月に行われています。六斎日とは仏教において行いを慎み精進する斎日で毎月八、十四、十五、二十三、二十九、三十日がそれに当たります。六日あるので六斎。その日に精進潔斎し、地獄に墜ちないように念仏を唱えたのが六斎念仏で、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、福井県など関西を中心に全国各地に広まりました。近年は六斎日ではなく、お盆や葬送の時に行われることが多く、地域ごとにやり方は様々ですが、後継者不足などもあって中止したところもあるようです。以前投稿した兵庫県川西市の加茂神社が鎮座する加茂地域でも、「ひっつんつん」の名で六斎念仏が行われてきましたが、後継者不足によりいったん解散した後、平成十二年に再開し子供たちに伝承しているとのことです。
京都の千本ゑんま堂でお盆に先駆けて行われる精霊迎えや、八月二十二日の六地蔵巡りをしたことがきっかけで、六斎念仏のことが意識に上るようになりました。千本ゑんま堂では八月十四日の夜に、六地蔵巡りの浄禅寺(鳥羽地蔵)や地蔵寺(桂地蔵)、上善寺(鞍馬口地蔵)では八月二十二日に、それぞれ六斎念仏が奉納されるのです。そのお知らせのポスターを目にするたび、京都ではいまも六斎念仏が広く行われていることを知らされました。京都の六斎念仏は昭和五十八年(一九八三)に国の重要無形民俗文化財に指定され、さらに昨年(二〇二二年)に風流踊りの一つとしてユネスコの無形文化遺産にも登録されています。京都に伝承されている六斎念仏は、芸能の要素が強く、風流として捉えられているようです。それは京都という土地ならではの発展・伝承によるものかもしれず、是非一度実際に見てみたいと思っていたところ、松尾大社の八朔祭でも奉納されるというので、これは好都合と出かけてみました。
松尾大社の八朔祭は明治十八年(一八八五)から続く五穀豊穣、家内安全を祈る祭です。八朔とは旧暦の八月一日(朔日)のこと。祭は最近では九月の第一日曜日に行われます。相撲の奉納や女神輿が出るなど、京都における最後の夏祭として賑わいますが、六斎念仏の奉納も祭を大きく盛り上げる存在です。
開始時間を前に、すでに多くの人が詰めかけています。八朔祭で六斎念仏を奉納するのは、嵯峨野六斎念仏保存会の皆さん。現在京都には六斎念仏を伝承奉納する団体が十四あり、それぞれの地域で活動しています。嵯峨野六斎念仏は嵯峨野の阿弥陀寺を本拠とし、お盆の時期は阿弥陀寺の檀家の家々を中心に念仏して廻る棚経が行われるほか、八月二十三日には阿弥陀寺の地蔵盆で、さらに松尾大社の八朔祭において六斎念仏を奉納しています。保存会に入会できるのは、もとは阿弥陀寺の檀家の男性に限られていましたが、最近では周辺地域に住む人や会員の紹介などで入会を認められることもあるようです。その意味では、その地域と共に発展し継承されてきた民俗芸能です。
この日演じられたのは十三曲。最初の「発願念仏」と最後の「結願念仏」は宗教色を残していますが、それ以外は太鼓がメインのものや、衣装や動きに華がある芸ものです。
こちらは太鼓曲の「四季」。太鼓も大小様々で、曲によって使う太鼓も異なります。
「四季」は太鼓曲ですが、笛も活躍します。
下は芸ものの「時雨」。女形が登場し、どこかユーモラスです。
こちらは四つの太鼓を打つ「四つ太鼓」。次々に人が入れ替わり、個人技を見せる演目です。
「祇園ばやし」は祇園祭に登場するコンチキチンの鉦の音に乗って、祇園祭の綾傘鉾に登場するのによく似た棒振りも出てきて、華麗に舞います。
「祇園ばやし」ではおかめ妊婦やひょっとこ坊主も出てきて、賑やかに踊ります。
下は「越後獅子」。
こちらは「四枚獅子」。獅子という名ではありますが、四人による太鼓ものです。
そしてこちらが冒頭の写真にもある、神楽獅子。
逆立ちして一回転するなど、アクロバティックな動きが観客を湧かせます。
こちらは積み重ねた碁盤の上での逆立ち。
途中から土蜘蛛も登場。
神楽獅子と土蜘蛛の立ち回りは迫力があります。
獅子の攻撃をかわそうと、突然蜘蛛の糸が放たれます。ぱっと飛び散る糸は見るものを惹きつけます。
熱演の最後は「結願念仏」。
緩急入り交じった見応えのある演目でした。
これらはすべて体で覚えていくものです。演じられた方たちは演目が体にしみついていて、日頃から六斎念仏が身近にあると感じました。
今回見たのは嵯峨野六斎念仏でした。場所が違うと、似たような演目でもリズムが異なるようですから、また機会を見つけて他の六斎念仏に足を運んでみたいと思っています。