八月の地蔵盆の頃、京都北部に点在する山間の集落で松上げと呼ばれる松明を用いた神事が行われます。白洲正子さんが花脊の松上げについて書かれた文章を数十年前に読んで以来、いつか自分の目で実際に見てみたいと思い続けてきましたが、夜の暗い山道を行く自信がなく先延ばしにしていたところ、偶然広河原の松上げに行くバスツアーを知り、参加が叶いました。
松上げは火除けの神様である愛宕大明神に献燈し、五穀豊穣や無病息災を祈る神事です。京都北部の山間への愛宕信仰の広まりを伝えていますが、そこにその土地ならではの歴史が加わっていますので、松上げと一口に言っても一様ではありません。
広河原は京都市街から北に三十数キロの左京区北部に位置しています。出町柳から岩倉、貴船口を経て鞍馬の集落を抜け、鞍馬街道を延々北に上がっていくと、道は次第につづら折りの山道になります。以前投稿した峰定寺のある花脊の集落を過ぎると間もなく広河原で、乗車時間は一時間半ほど。この道を熟知した運転手さんのおかげで安心して行くことができましたが、もし自身の運転でとなったら相当神経を使いそうな道ではあります。一直線に天に向かって聳える杉の木々がヘッドライトに当たって見えたり、遠くに集落の灯りが見えたりと、ときおり外の様子をうかがい知ることができるとはいえ、行程の大半は真っ暗闇です。広河原に到着したのは夜八時。暗くてバスからではわかりませんでしたが、降りてみると鞍馬街道のすぐ横には大堰川が流れていました。
すでに川沿いには明かり取りの松明に火が入り、到着した人たちを会場へと誘ってくれます。
会場途中には地元特産の山の幸の漬け物や、その漬け物を使ったおにぎりなどを販売するテントも出ていて、ちょっとしたお祭の雰囲気。八時半開始の松上げを待つ人たちが三々五々集まってきています。
松上げが行われるのは、松場と呼ばれる広場です。周りには結界が張られ、関係者以外立ち入ることができないようになっています。写真ではわかりませんが、松場の奥に高さ二十メートルにもなる燈籠木が立っています。これが松上げの主役です。燈籠木は桧の大木の先端に直径二メートルほどの大笠を頂いたもので、四本柱の枠の中に垂直に立てられています。
目の前に広がる広大な松場には、高さ二メートルほどの棒が無数に立てられ、その奥では神事に参加する男衆が集まり、火を囲んでいます。献燈用の元火は、ここから少し北の尾花町にお祀りされている愛宕大明神の祠から授かったもの。
松上げに参加するのは男性のみで、神事の前には一番風呂と塩で体を清めるのだそうです。
待つこと数十分、闇の奥から太鼓と鉦の音が響き、神事の始まりが告げられます。その音と共に、男衆が元火の松明を持って移動し、次々と火の付いた地松と呼ばれる松明を棒に突き刺していきます。
一つ一つ松明が増え、気がつくと辺り一面炎に包まれています。その間、聞こえてくるのは太鼓と鉦の音のみ。何とも言えない幻想的な雰囲気です。
消えかかった松明はいったん棒から外され、男性の手でぐるぐると振り回して炎の勢いが増した後、再び棒に戻されます。
地松だけでも十分見応えがありますが、松上げはこれからです。地松への点火がすべて終わりしばしの静寂の後、ふたたび太鼓と鉦が鳴り響き、いよいよ松上げです。
古老による最初の一投を合図に、次々と一番点火を目指して松明が天高く放り上げられます。
燈籠木は二十メートルもの高さがあり、その上に置かれた大笠に松明を投げ込むのは容易ではありません。方向がよくても高さがわずかに足りないときは、観衆の間から「あー」とか「惜しい」という声が漏れ聞こえます。ようやく一つ、大笠に到達すると、拍手がわき起こりますが、そのまま大笠に火が広がることはなく、次第に消えてしまいました。最初はすぐに点火し、あっという間に終わるのだろうと思っていたのに実際は全くそうではなく、これは相当長丁場になりそうだということが次第にわかってきました。
結局三回到達しても火は広がりません。重たい松明を高さ二十メートル以上投げ続けるのですから体力の消耗も相当でしょう。松明の火が燈籠木の上の大笠に燃え広がった頃、燈籠木を支えていた藤蔓を切って燈籠木を倒し、大笠の炎に棒を突き刺し空高く舞い上がらせるというのが、広河原の松上げの醍醐味ですが、帰りの時間の関係で残念ながらその様子を見ることができませんでした。
広河原では、燈籠木が倒れた後も近くの観音堂で盆踊りが行われるそうです。観音堂には佐々里峠のお地蔵様がこの時だけ迎え入れられお祀りされています。松上げが終わったらまた元の佐々里峠にお返しするということで、そういう話を知ると、広河原の松上げは愛宕信仰に地蔵信仰が習合したものであることがわかります。地蔵盆の時期に行われるのがそれで納得できます。ちなみに広河原では古くから良質の炭が作られていました。愛宕信仰が根付いたのは、炭焼きの歴史に依るところがありそうです。
素朴な祈りの原型を見た思いがし、忘れ得ない体験でした。山道の様子もわかりましたので、来年は最後まで神事を見届けることができるよう、自家用車で来ることにします。
放上松を模したお守りを台所にお祀りしています。