京都の祇園祭は疫病退散を願う祭で、豪華な山鉾の巡行は八坂神社の御神輿の渡御に先立ち、神様が通られる道を清める意味があります。山鉾によって清めれたところを御神輿が通ることで、京の町から悪いものが完全に追い払われるということですが、大阪の住吉大社で盛夏に行われる住吉祭も大阪の町をお祓いするお清めの神事です。”おはらい”とも呼ばれる住吉祭の最終日、御旅所のある堺の宿院頓宮まで大神輿が移動する神輿渡御を初めて見ることが叶いました。
住吉祭は七月三十日から八月一日までの三日間にわたって行われます。三十日は宵宮祭、三十一日は夏越祓神事と例大祭が行われ、三日目の八月一日に大神輿の御渡があります。夏越祓神事は色鮮やかな着物に身を包んだ夏越女や稚児たちが和歌を口ずさみながら茅の輪をくぐって心身を清め、無病息災を願うもので、大阪府の民俗文化財に指定されています。写真で見ただけですが、茅の輪をくぐる夏越女たちの列は実に優雅です。また例大祭ではお神楽や住吉踊りの奉納もありますので、来年以降の楽しみにしたいと思います。
さて、八月一日昼過ぎ、住吉大社に到着すると、すでに大神輿は境内を出発し、正面の池に架かる赤い住吉反橋(通称太鼓橋)を渡ろうとしているところでした。
この橋は高さが三、六メートル、長さが二十メートルになる大きなもので、慶長年間に淀君が奉納したと伝わります。かつて入り江が神社付近にありましたので、この橋は海岸線に架けられ、本殿と対岸を結ぶ役目を担ったと言われますが、象徴的には神の国と地上とを結ぶものだったのでしょう。橋の最大傾斜角は四十八度、普通に歩くだけでもかなり気をつける必要があります。そこを二トン近い大神輿が渡るのですから、その迫力と熱気には圧倒されます。
数百人の担ぎ手全員が一丸となって懸命に御神輿を支え、橋をきしませながら急勾配の橋を渡っていく様は見る者の心を動かします。大神輿にお乗りになっているのは住吉大神。海上交通の守護神である底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱を総称した神様です。
この大神輿は明治十四年(一八八一)に新調奉納されたもので、住吉祭の象徴として毎年祭の際に渡御が行われてきましたが、太平洋戦争時に中止され、戦後も復活されることがなかったそうです。(昭和三十六年からは人の手によって担がれるのではなく、車両によって引かれたとのこと)
御神輿の渡御自体は平成十七年(二〇〇五)に四十五年ぶりに復活しましたが、大神輿は老朽化が激しく、担がれた御神輿は別のものでした。けれども大阪一と言われた大神輿が出ないことには住吉祭の真の復活とはいえないという気運が盛り上がり、平成二十五年(二〇一三)に大神輿の修復が決定します。その過程については神社HPに詳しく書かれていますが、とくに興味を惹かれたのは、解体の際御神輿の上に飾られている鳳凰の胴体部分から「京都七條通り新町東入/寺本勘助/納受/明治十二年九月六日」という制作者の銘が書かれていたものが見つかったことです。寺本勘助の名はこのほか鳳凰台座、平瓔珞基部木材、鳥居笠木裏にも記されていたそうです。寺元勘助は京都祇園祭の八幡山の装飾にも関わっていた京都の錺金具師です。関係者や氏子たちが大阪一の神輿を造ろうとした想いが感じられます。
無事太鼓橋を渡り終えた大神輿は、担ぎ手たちによって向きを変え、その都度激しく揺さぶられます。
ひとしきり休憩した後、大神輿は「べぇらべぇら」のかけ声と共に鳥居をくぐり、紀州街道を南下していきます。
地元の人の話では、以前は御神輿渡御の後ろに馬に乗った武者行列などが続いたそうですが、今年は御神輿の渡御のみです。コロナ禍の期間神輿渡御は中止され、神事は関係者のみで執り行われていました。武者行列などもコロナによって中断され、未だ復活していないということなのでしょうか。
大神輿はゆっくりと紀州街道を進み、夕方五時過ぎに大和川に到着します。
以前は大和橋で堺側への神輿受渡式が行われ、担ぎ手たちが大神輿を担ぎながら大和川を渡りました。それも見所の一つですが、今年はそれも行われず、御神輿は待機していた車に乗せられ堺の御旅所に向かいました。大神輿が大和川を渡る様子を見ることができず少々残念ではありましたが、予期せぬ出会いも。
電車に乗って先回りし、大和橋で大神輿の到着を待っていると、向こうの方から赤い傘をかぶった少女たちが歩いてきます。とあるお宅の前で立ち止まると、住吉踊りが始まったのです。
住吉踊りは、神功皇后が凱旋した際漁民たちが祝福と歓迎を祝って舞った踊りが起源と神社では伝わっており、中世以降虫よけや五穀豊穣を願う農民の舞へと変化し、さらに住吉大社の神宮寺の勧進僧たちによって各地に広められていきました。住吉大社では現在主にお田植え神事で奉納されています。教導師と呼ばれる人が縁に幕をたらした大きな傘を立て、傘の柄を竹で叩いて拍子を取りながら歌うのに合わせ、菅笠をかぶり団扇を持った少女たちが心の字を描くように飛び跳ねながら踊るというものですが、「エー 住吉さまの イヤホエ」と耳に残る節回しに合わせ少女たちが楽しそうに飛び跳ねる住吉踊りは印象的です。御神輿渡御の際にも行われるとは知らず、間近で見ることができたのは嬉しいことでした。
最後に少しだけ境内の様子を。
住吉大社境内の第一本宮の南に、最初に住吉大神がお祀りされた聖地と伝わる五所御前と呼ばれるお社があります。そこの御垣内の玉砂利から、体力、智力、財力、福力、寿力を表す「五」「大」「力」の石を自分で見つけお守りにすると、心願成就の御神徳を得られるというので、以前お詣りに訪れた際、三つの石を探し出し袋に入れて大切に持っていました。願いが成就したら、同様の石を自分で用意し、感謝の思いを込めて「五」「大」「力」と記し、二倍にしてお返しする習わしです。お返しできるようになるまでかなり時間を要しましたが、昨年ようやくそのときが来ました。ところがいざ行こうとすると、まだコロナ感染に神経を尖らせている時期で、石に手が触れるのを避けるため返納が中止になっていました。そのくらい…とがっかりしたのを忘れることができません。
というわけで、一年以上遅れての御礼参りがこの日ようやく叶いました。
切羽詰まってお願いすると、その願いが叶ったというのは一度ではなく、住吉大社は私にとって非常にご利益のある神社です。神社というと歴史的な関心が向くことが多いなか、住吉大社はその点で私にとって異なる存在といえるかもしれません。とはいえ、歴史的に重要かつ難しい神社でもあります。だからこそ丁寧に少しずつと思っています。