古社寺風景

宝積寺

大正四年(一九一五)四月、加賀正太郎に招かれ大山崎の山荘を訪れた夏目漱石は、そこで歓待を受けた後宝積寺を訪れています。後日正太郎に送られてきた礼状には、「宝寺の隣に住んで桜哉」の句が添えられていたとか。当時山荘にあった見事な桜と共に、宝積寺訪問も漱石の心に残ったようです。その句碑が美術館に通じる道沿いに立っています。

 

漱石の句にもあるように、宝積寺は宝寺とも呼ばれます。境内に三重塔があり、美術館のテラスからも木々の間に相輪が見えていました。

 

 

宝積寺は神亀元年(七二四)聖武天皇の勅願で行基によって建立されたと伝わる真言宗の古刹です。大山崎山荘美術館の後、お詣りに向かいました。

 

急坂を五分ほど上ると仁王門が現れます。門は江戸時代初期に再建されたものですが、金剛力士像は鎌倉時代のもので国の重要文化財に指定されています。

 

 

仁王門をくぐると右手に三重塔が聳えています。安土桃山時代のもので、こちらも国の重要文化財です。

山崎の合戦で勝利した秀吉が一夜で建立したというので、一夜之塔と呼ばれます。それは伝説に過ぎませんが、山崎の合戦の際秀吉は宝積寺に本陣を置き、合戦後は大坂城に移るまでの間、宝積寺も含め天王山の山城を城郭として利用したとのことです。

 

参道を進み石段を上がった正面にあるのが本堂です。江戸時代初期の慶長年間に再建されていますが、堂内にお祀りされている御本尊の十一面観音像は鎌倉時代のもので、こちらも国の重要文化財に指定されています。金箔に覆われた美しいその姿は宝積寺HPからご覧ください。十一面観音像というと、以前各地の十一面さんを訪ね歩いたことがありますが、十一面観音は龍神(水の神)の化身とされますので、多くが川や湖、池、沼の近くにお祀りされています。宝積寺もしかり。お寺は天王山の南側山腹にあり、山のすぐ南には桂川、宇治川、木津川が流れ、三川の合流地点も望むことができるように、古来川と関わりの深い土地です。御本尊の十一面観音像はそうした土地の歴史を伝える存在でもあります。延暦年間に洪水で橋が流された際、翁が現れ神通力で水上を歩いたところ橋が復元され、その後翁は一条の光となって本堂の厨子に至ったことから、御本尊の十一面観音が翁に化身し橋を架けてくださったとの評判が立ったという話が伝わっているようですが、これも十一面観音が水の神であることの証です。

ちなみに宝積寺の創建由来に、奈良時代の高僧で、灌漑や架橋などの社会事業にも力を尽くした行基の名前があがっていますが、行基は神亀二年(七二四)淀川に山崎橋を架け、仏教を広めると共に橋を維持管理する寺院として天平三年(七三一)山崎院を建立しています。JRの線路沿いから壁画片などが見つかったことから、その辺りに山崎院があったと考えられ、山腹にある宝積寺は山崎院が前身だったのではないかという説もあるようです。

ところで、聖武天皇の勅願で行基により建立されたと伝わる宝積寺ですが、もう少し詳しく書くと、聖武天皇が夢で龍神から”打出”と”小槌”を授かり、行基が建てたお寺にそれらを奉納したということです。一寸法師の話では”打ち出の小槌”と呼ばれていますが、打出と小槌は本来別のもので、打出は福の種を撒くため土に穴を開ける棒状のもの、小槌は福を祈願して振るものなのだそうです。その打出と小槌が、本堂の左にある小槌宮にお祀りされています。

 

 

 

 

 

 

堂内に大黒天と書かれた提灯がつる下げられているように、ここには大黒様もお祀りされています。寺伝では、インドから大黒天神を招きお祀りしたということですが、龍神から授かったと伝わる打出と小槌が、米俵に乗り福袋と小槌を持った大黒天の姿に通じることから、神仏習合が盛んになった時代にここに大黒天がお祀りされるようになったのではと想像します。

 

 

いずれにせよ、宝寺とも呼ばれる宝積寺の寺名は、何事も願いを叶え、福をもたらしてくれる打出と小槌に由来するのでしょう。そこに後に大黒様も加わりましたので、その力は絶大だったに違いありません。さらに言うと、境内には弁才天もお祀りされています。弁才天については年初に投稿した八百富神社でも触れましたが、弁才天もインドのサラスヴァーティ河を神格化した水の女神で、日本においてはさまざまな神と習合し何でも願いを叶えてくださる神様として信仰を集めています。まさに宝が積まれたお寺という感じがします。

 

 

天王山登山道の途中にあるということも関係していますが、強力なご利益にあやかりいまもお詣りに訪れる人が絶えません。ここでは絵馬に替わり、願いごとを書いた色とりどりの巾着が奉納されています。

余談ですが、打ち出の小槌から連想するのは一寸法師の話ですので、そのことを少し。子供のない老夫婦が住吉大社に祈願して授かった一寸の男の子が、お椀の舟に乗って京の都を目指し宰相の家に仕えているうち、やがてその娘を見初め、難波に連れていく途中鬼ヶ島に流れつきます。鬼を退治した一寸法師は、鬼が投げ捨てた打ち出の小槌を振って大きくなり、娘と結婚し出世したというのがその話で、誰もが一度は読んだことがある日本のお伽話の一つです。その元になっているのは室町時代の『御伽草子』で、いま記した内容とは異なっていますし、語られる地域によっても細部に違いが生じているようですが、それはともかく、住吉から京の都に向かったというのは共通しています。面白いことに、宝積寺はその途中の立ち寄り先で、一寸法師はここで修行したと伝わっているのだそうです。古代住吉から京都に行く場合、住吉の津から海に出て、そこから淀川を遡ることになります。大山崎が、三川が束ねられ淀川となって大阪湾に注ぐ合流地点であることと、宝積寺に伝わる打出と小槌の存在が、一寸法師の立ち寄り先という伝承をもたらしたのかもしれません。

淀川を見下ろす天王山山腹という地形と、川のもたらす恵みや災害が、その時代その時代で様々な歴史を土地に刻んでいます。こうした土地は奥が深く、興味が尽きません。

 

 

 

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