新緑が目に鮮やかに映じる季節、久しぶりに大山崎を訪れました。
大山崎は大阪府島本町に接する京都府南部の町で、西山山系の丘陵が桂川、宇治川、木津川の三川合流地点まで迫るその地形ゆえ、古来交通の要衝とされ、数々の戦がここで繰り広げられてきました。これらの戦は、丘陵の南端にある天王山の名を取って、天王山の戦いと呼ばれていますが、その中でもよく知られるのは明智光秀と羽柴秀吉が激闘を繰り広げた山崎の合戦でしょう。本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれたことを知った秀吉は、備中からすぐさま摂津国の富田に進軍し、京都から来た光秀軍を迎え撃ち撃破、その後秀吉は天下統一への道を突き進むことになりました。「天下分け目の天王山」と言われるのはそれに由来し、周辺には古戦場を偲ぶ場所がいくつもあります。古戦場跡地としての大山崎(天王山)散策も一興ですが、新緑に惹かれこの日向かったのは天王山山腹にある大山崎山荘美術館でした。
大山崎山荘美術館は、大阪の出身でニッカウヰスキーの創業にも関わった実業家加賀正太郎(一八八八~一九五四)が、天王山の自然と山腹から三川を見下ろす眺望に惹かれ、自らの設計で建てた英国風の山荘を復元整備し一九九六年から美術館として公開されているものです(国の登録有形文化財)。コレクションの中心は復元整備に関わった朝日麦酒株式会社(現アサヒビール)創業者の山本為三郎が収集した民芸作品です。現在美術館名にアサヒビールが冠されているのは、加賀正太郎没後人手に渡った山荘が、九十年代後半に取り壊しの危機に直面した際、京都府や大山崎町の要請を受け、山荘の保存に協力したのがアサヒビールだったためです。生前正太郎は山本為三郎と親交があり、晩年には創業に関わったニッカウヰスキーの株を山本に譲渡し、朝日麦酒の子会社になっていましたので、山荘の復元整備に現在のアサヒビールが手を貸したのも自然な成り行きに思えます。
現在は黒田辰秋展が開催中で、展示品の多くが山本コレクションです。とりわけ目を瞠ったのは貝の象嵌による茶入れで、貝が作り出す自然の色がセンス溢れる精緻なデザインにかかると、こうも美しい芸術作品に昇華するのかと見とれました。この美術館の最大の特徴は、こうした美術作品が細部にわたりこだわりを持って設計・装飾された建物と見事に調和しているところにあり、展示企画が変わっても、常に作品と建物に一体感が感じられる点、他と一線を画しているように思います。白壁の四角い空間に展示される作品を見ることが多い中で、こうしたintimeな美術空間に身を置いていると、作品との距離がぐっと縮まり、これこそ本来の美術鑑賞の在り方ではないかと思わされることもしばしばです。
館内の撮影ができず具体的な装飾や調度品をお見せできないのが残念ですが、十五年以上前に某雑誌の取材で大山崎山荘美術館を訪れたことがあり、カメラマンの方が撮影された写真が一枚誌面に出ていますので、ちらりとお目にかけます。
ステンドグラスを通して射し込む光や、シャンデリアから降り注ぐ灯りが、重厚な調度品に温もりを与えています。また本館一階の展示室壁面には暖炉があり、その上部には後漢時代の墳墓に用いられていたという画像石が装飾されていますし、天井に近い壁面には乙訓特産の竹の子や家紋などが彫刻されるなど、目は展示作品と室内装飾の間を行ったり来たり……。
作品鑑賞の途中で窓外の緑にほっと一息つくことができるのもこの美術館の魅力です。 あと一月もすれば睡蓮で埋めつくされる池、その奥には天王山の斜面が迫っています。枝越しに見える白い建物は栖霞楼と呼ばれる見晴台です。保存のため立ち入り禁止ですが、以前の取材の際には役得で三階に上がらせていただきました。雑誌右ページの写真がその眺めです。
眺望ということでは、二階のテラスに立つと、川向こうには石清水八幡宮を擁する男山、さらにその奥には生駒の山並が視界に入りますし、南西方向の木立の隙間からは宝積寺の三重塔も見えます。テラスには喫茶室の席が数席あります。この眺めを前にお茶をゆっくりいただくのも、この美術館に来たときの楽しみの一つです。
正太郎がこの地を選んだのは、この眺めがイギリスのウィンザー城から見たテムズ川の風景に似ていたからなのだそうです。
京都に滞在中だった夏目漱石が正太郎に招待され一九一五年四月に大山崎を訪れています。正太郎に案内され漱石もこの風景を目にしたかもしれません。
敷地内には茶室があり、そこから傾斜を下っていったところにも別の庭園があります。天王山山腹の地形を生かした庭園は、春は桜、初夏は新緑、秋は紅葉と、どの季節でも来訪者の目を楽しませてくれます。
多彩な緑の競演も美術空間を支える大切な要素です。
美術作品と展示空間に一体感のある美術館は、意外と少ないものです。東では東京駒場の日本民芸館や白金の庭園美術館がその代表ですが、地形や周囲の自然も含めた空間となると、ここに勝るものはないような気がします。