この時期京都の町を歩いていると、いまなおあちらこちらに飾られている門松や注連縄に眼が留まります。松の内が七日までの関東では、その日を過ぎると正月飾りは片付けられてしまいますが、関西では松の内は十五日までなのです。小正月の十五日前後には歳神様を火によってお送りするとんど祭が各地で行われます。その際正月飾りなどもお焚きあげされますので、あと数日関西ではお正月の名残が見られそうです。
そうした中、一月十日を中心に関西各地のえびす神をお祀りする神社でお祭が行われます。えびす神は七福神の一柱、漁業、商売繁盛、五穀豊穣の神で、前回投稿した弁才天同様人気の神様ですが、そのえびす神を正月の十日に盛大にお祭することから十日戎と呼ばれます。えべっさんとも言われます。関東ではなじみのないお祭ですが、昔父が関西の大学に教えに通っていたとき、大阪今宮夷神社の十日戎に行ったらしく、父の書斎には長い間福笹が飾られていたのに加え、何かのエッセイにその話を書いていたこともあって、私にとっては未知ながらどこか親しみのある祭でした。古い福笹は本来は翌年お参りした際にお返しし、新しい福笹に更新するものですが、東京で暮らす身には簡単ではありません。それを口実にしていたのかどうか、俵やえべっさんの顔など縁起物を賑やかに付けた福笹は物珍しさもあって、思い出と共に書斎にずっと飾られていました。笹は次第にひからびて縁起物も色あせていきましたが、それでも福笹はずっと本棚の上から父の仕事を見守っていました。今宮戎というと私にはそんな記憶が甦ります。
やがて私自身も関西に腰を落ち着けることができるようになると、関西を知るためにもえべっさんに足を運んでみたくなります。私にとって十日戎の初体験は、三年前に訪ねた大阪の服部天神でした。今宮戎はいずれ機会が訪れるでしょうということで、今年は京都の祇園にある京都ゑびす神社の十日戎に行ってみました。
京都ゑびす神社は建仁寺の西、鴨川から百メートルほど東に鎮座しています。栄西が建仁寺を建立するにあたり、海上で自身を守ってくださったえびす神を勧進し、建仁二年(一二〇二)に鎮守として創建されたと伝わります。兵庫県の西宮神社、大阪府の今宮戎神社とともに日本三大えびすとして、篤く信仰されています。
一の鳥居をくぐり、人の流れに身を任せ少しずつ前進していく中、たくさんの紙の人形をさげた赤い傘に眼が留まります。これは参道の露店で売られているものですが、大阪のえべっさんにはなかったものです。風流囃子物の傘を連想しましたが、これは神様の依り代ではなく、人寄せを願う縁起物で「人気大寄せ」というそうです。
少し進むと二の鳥居。見上げると何かが白い布で覆われています。ここにはえびす神の顔がついた青銅の福箕が掲げられていて、そこにお賽銭を投げ入れ入ると願いが叶うというものですが、混雑するこの期間は危険なので覆いをしているということだとか。
参拝の順番を待つ間、向かって左の吉兆笹授与所から太鼓の音が何度も聞こえてきます。人垣でよく見えませんが、巫女さんによる神楽舞の奉納でお清めされた笹が授与されるということのようです。通常ですと十日の本戎の際には、東映の女優さんによる授与、十一日の残り福では舞妓さんによる授与がありますが、コロナの影響で今年は残り福の日に舞妓さんによる授与のみです。
ここにお祀りされているのは八代言代主神、大国主神、少彦名神で、八代言代主神(八代事代主神とも)とえびす神を同一神としています。えびす神は表記も夷、恵比須、恵比寿など様々ありますし、えびす神自体も外来の神であるとか、海神であるとか、鯨の神格化であるとか、さまざまな説があります。ここでは深く立ち入りませんけれども、神話に登場する神と関連づけた場合、当社のように事代主神と同一視されることもありますし、西宮神社のように蛭子と同一視されることもあります。三年前に投稿した大阪の服部天神では西宮神社との関連で蛭子を御祭神としています。
福笹をいただいた後は縁起ものを付けていただきます。
通常ですと本殿でのお参りを済ませた後、社殿の向かって左(南側)の格子をとんとんと軽く叩いてお参りに来たことをお知らせする横参りをするのが習わしですが、コロナのため横参りも中止とのこと。南側の狭いところに人が集中するからということでしょうか。
私の経験した限りにおいてではありますが、同じ十日戎でも大阪と京都ではだいぶ雰囲気が異なります。大阪のえべっさんは大阪締めもあって勢いが感じられ、京都のえべっさんはどこかはんなりとしています。とはいえ京都ゑびす神社も初詣に負けない人出で熱気で溢れています。お正月を二度味わった気分ですが、関西はまだ松の内。これも正月行事の一つと思うと、納得します。
余談ですが、七福神信仰は京都が発祥とされ、都七福神として今も七福神参りが行われています。新春にお参りすると特にご利益が大きいとのことです。今月七箇所は難しそうですが、これで一社お参りできましたので、もう一社ぐらい時間を見つけてお参りできたらと思います。昨夏お盆の時期に、京都ならではのさまざまなお盆行事に参加する機会を持ち、信仰文化の幅の広さを感じました。新春もしかり。一つずつ、少しずつ経験していくことで、京都の奥深い魅力に近づくことができるでしょうか。