古社寺風景

赤山禅院

修学院離宮に近い比叡山西麓に、赤山禅院という延暦寺の別院があります。

赤山禅院の御本尊赤山大明神は道教の泰山府君と同一神とされていますが、泰山府君の泰山は道教における聖地五岳の中で最も尊い山で古くから死者の霊が集まるとされてきた場所です。そこにお祀りされている泰山府君東岳大帝)は、泰山の最高神として人の在世における地位や生死を司ると信じられ、泰山府君のもとには人の運勢を記した禄命簿があったとされています。やがて仏教の十王信仰と習合し、閻魔大王と共に地獄で審判を行う泰山王となります。とくに日本では陰陽道において重視され、安倍晴明が泰山府君祭を催し病にかかった高僧を救ったというような話が『今昔物語集』などに記されています。今年の夏は六道参りや六地蔵めぐりをしたこともあり、いつになく閻魔大王の存在が意識に上りましたが、冥界の最高神ということで日本においては閻魔大王と同一視(混同?)されることもあるようです。

 

なぜ道教の最高神泰山府君をお祀りすることになったのか、平安時代に遡り赤山禅院の創建由来を繙いてみます。

最澄に師事した円仁は三度目にしてようやく遣唐使として入唐を果たしますが、目指す天台山へは許可が下りなかったため、遣唐使一行から離れ危険を冒して山東半島にある赤山法華院に奇遇します。当時赤山は新羅人が居留する町で、赤山法華院も統一新羅時代海上王として活躍した張保皋ちょうほこうの寄進で創建されています。円仁は赤山法華院で知り合った高僧から天台山の代わりに五台山を紹介され、五台山への巡礼を果たします。そこで日本にまだ伝来していなかった五台山所蔵の仏典を書写した後、さらに最先端の文化を学ぶべく長安を目指します。長安では密教を学びここでも多くの経典を書写しますが、廃仏事件(会昌の廃仏)による外国人僧の追放に遭い帰国することになりました。張保皋は円仁が不法とはいえ長期に滞在できるよう取りはからってくれるなど、円仁の求法の旅を物心両面から支援した人物ですが、その後様々な困難に直面した円仁を助けたのも新羅人でした。

円仁は帰国後比叡山に戻り、第三代天台座主として五台山で学んだ教えを弟子たちに伝えると共に、赤山明神を勧進し禅院の建立を願うも、あいにく実現しないまま貞観六年(八六四)に没してしまいます。

円仁の弟子で河内国出身の天台僧・安慧あんえがその遺志を継ぎ、円仁の杖などを納めたお堂をまず造りますが、それが壊されてしまったことから、仁和四年(八八八)に同じく円仁の弟子である相応和尚そうおうかしょうによって再興され赤山明神がお祀りされたとのことです。

このように赤山禅院創建の源には、九年六ヶ月にわたり命がけで密教を学んだ円仁を助け支え続けた新羅人に対する円仁の感謝があり、その遺志を弟子が受け継ぎ寺の創建となったのです。

赤山禅院は比叡山の別院に位置づけられる天台宗のお寺ですが、大きな石の鳥居が立つように神仏習合がいまなお色濃く残っています。早速境内へ。

色付き始めた参道の先、十数段の石段を上がると正面に神社の拝殿を思わせる建物があります。

事実御拝殿と呼ばれるように、その後ろにお祀りされている赤山大明神を拝する建物です。(明治四十四年の再建)「皇城表鬼門」とあるように、御所の北東にあることから比叡山と共に鬼門封じの役割を担ってきました。ちなみに比叡山の東麓には比叡山の鎮守として日吉大社がありますが、そこでは神様のお使いとして猿が祀られています。赤山禅院でも拝殿の屋根で猿が鬼門を護っています。

この猿は御幣と神楽鈴を手にした姿で金網に入っています。これは以前抜け出して悪さをしたので、金網の中に閉じ込めているのだとか。ちなみに御所の東北隅にある猿が辻でも神猿まさるが鬼門を護っています。

拝殿の向かって左、西側には地蔵堂があります。

 

 

赤山大明神の本地仏が地蔵菩薩であるということだそうで、穏やかな表情の地蔵菩薩像がお祀りされています。

 

地蔵堂前を通り御拝殿の後ろに回ると、赤山大明神をお祀りする本殿があります。

 

本殿の天井を見ると、丸い扁額に目が留まります。ここに書かれているのはサンスクリット語の「か」で、地蔵菩薩を表すのだそうです。こうしたものがお寺に残っているのは珍しいのではないでしょうか。

 

本殿前の両側には一対の狛犬。ここからも神仏習合がうかがえます。

 

 

本殿を囲む朱の玉垣に沿って北西奥に進むと、弁財天をお祀りする弁財天堂があります。

弁財天堂から玉垣に沿って東方向に行くと、福禄寿殿。

山門をくぐり参道を歩いているとき、都七福神と書かれた色とりどりの幟を目にしました。これは室町時代に京都七箇所の寺院で起こった七福神の札所巡りを宣伝するもので、当寺の福禄寿もその一つです。福禄寿は頭が長く髭をたくわえた老翁の姿をしています。その姿をした可愛らしいおみくじが売られていましたが、むかし実家にそれがあったことを思い出し、亡父母もここに行ったことがあったのだなと、少々感慨に耽りました。

境内には他にも御滝堂、雲母不動堂、金神社、歓喜天、相生社などがあり、至るところで神仏習合を感じますが、ここも明治の廃仏毀釈の難を免れることができずにしばらく荒廃した時期が続いたようです。再興には千日回峰行を満行した僧侶が力を尽くしたとのこと。千日回峰行は相応和尚によって始められた行で、その中でも荒行とされる赤山苦行は修行開始六年目に比叡山から雲母坂を下って赤山禅院に花を供しまた比叡山に戻るという、一日六十キロにもなる厳しい修行ですが、回峰行者はだからこそここに格別の思いを持つのかもしれません。

円仁以来さまざまな天台僧侶たちの生き様、思いの丈が各所に感じられ、しみじみと参拝しました。

 

赤山禅院は紅葉の名所としても知られます。今週末以降が見頃になりそうです。

 

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