古社寺風景

陶荒田神社

須恵器生産が行われるようになった五世紀から六世紀頃の陶邑すえむらを、今回は別の角度から見てみます。

第十代崇神天皇は実在した可能性のある最初の天皇とされますが、実在していたとすると三世紀後半から四世紀の初め頃です。初期のヤマト王権が本拠地としたのは奈良県の桜井、より地域を限定すれば三輪山周辺で、『日本書紀』にある崇神天皇の磯城瑞籬宮しきのみずかきのみや(写真下左)は三輪山南麓にあったとされています。ちなみに崇神天皇陵とされている行燈山古墳(写真下右)があるのも三輪山の北で、三輪山の麓にはそれ以外にも古墳時代前期の古墳群が点在しており、その中には卑弥呼の墓ではないかと言われている箸墓古墳も含まれています。

  

その崇神天皇の時代のこととして、『日本書紀』に次のような記述があります。崇神天皇七年の春二月、災いが続いていたときに夢に大物主神が現れ、「し吾が 大田田根子おおたたねこを以て、われ令祭まつりたまはば、たちどころに平ぎなむ。また 海外わたのほかの国有りて、自づからに帰伏まうしたがひなむ」と言われ、さらに秋八月に他の従臣たちも同様の夢を見たため、大田田根子を探させたところ、「茅淳県ちぬのあがた陶邑すえむらに大田田根子を得て貢る」と。『古事記』では意富多々泥古、発見された場所は河内の美努みぬの村とあるように多少違いはありますが、内容としては同様のことが書かれています。

『古事記』と『日本書紀』でオオタタネコの表記が異なりますが、ここでは大田田根子で話を進めますと、大田田根子について『日本書紀』では「父をば大物主大神とまうす。母をば活玉依媛いくたまよりひめと曰す。陶津耳すえつみみむすめなり。」、『古事記』では「あは、大物主の大神、陶津耳の命の女、活玉依毘売を娶りて生みたまへる子、名は櫛御方くしみかたの命の子、飯肩巣見いひかたすみの命の子、建甕槌たけみかづちの命の子、あれ意富多々泥古ぞ」とあります。また大田田根子の後裔について、『日本書紀』では大田田根子は三輪君の始祖、『古事記』では三輪君と鴨君の祖であると書かれています。

大田田根子は『古事記』では大物主の四世孫になっていますが、記紀のどちらにおいても大物主と陶津耳の娘の血を受けていることになっています。大物主は三輪山の神、陶津耳は賀茂御祖かもみおや神社(下鴨神社)の御祭神である賀茂建角身命かもたけつぬみのみことの別名にもなっていますので鴨氏との繋がりがうかがえますが、字からも推測できるように須恵器に関わりを持ってもいたはずで、両方の流れを汲む大田田根子を陶邑から三輪山に連れてきて大物主を祀らせたという伝承は、須恵器生産を担う勢力と初期ヤマト王権との結びつきを暗示するものに思えます。その結びつきが、融合なのか交代なのか、具体的なことは想像するしかないのですが、古代祭祀場として禁足地になっている三輪山からは大量の須恵器が発見されていますし、実際三輪山の祭祀を、大田田根子の後裔である三輪君(後の大神氏)が執り行っていることからも、三輪山と陶邑との関わりは明らかです。ちなみに三輪山で須恵器を用いた祭祀が盛んに行われたのは五世紀から六世紀ですので、記紀が大田田根子伝承を崇神天皇の時代のこととしているのとは時代が合いませんが、これは須恵器を用いた三輪山の祭祀をより古い時代からのものとして権威づけたいということかもしれません。

 

その大田田根子に縁の神社が、かつての陶邑にある陶荒田すえあらた神社です。現在の地名は堺市中区上之ですが、かつては泉北郡東陶器村大字太田字上之といい、歴史を伝える地名でしたので、これがなくなってしまったのは残念です。前回投稿した陶邑窯跡群の中で窯跡の地区を示した図を載せました。陶荒田神社が鎮座しているのは陶器山地区で、神社の南では窯跡がいくつも見つかっていますし、神社の北には陶器千塚古墳群という古墳時代後期の古墳群があり(ほとんどが消滅してしまいましたが)、被葬者は須恵器生産に関わった人たちである可能性があります。神社の南東四百メートルほどのところにある見野山が、『古事記』が意富多々泥古を発見したと記す河内の美努ではないかと考えられています(和泉国が河内国から分立したのは奈良時代なので、当時は見野山周辺も河内国でした)。考古学者の森浩一氏は陶邑というのはかなり規模の大きな集落で、かつて存在した東陶器村と西陶器村がその中心だったのではないかと言われていて大変興味を覚えます。というのも、陶荒田神社の鎮座地は、陶邑の中心とされる場所の、さらに中心に当たるからです。

神社の表示では、御祭神は高御産巣日神たかみむすびのかみ剣根命つるぎねのみこと八重事代主命やえことしろぬしのみこと、菅原道真で、崇神天皇七年に太田田根子が創建したとありますが、境内にはもう一つ新しい表示が立っていて、そちらでは御祭神は高魂命たかみむすびのかみ、八重事代主命、菅原道真とあり、高魂命の五世孫の剣根命の子孫である荒田直あらたのあたいが祭祀を行っていたことから、地名の陶と荒田を合わせ陶荒田神社となったとのことです。高御産巣日神は『古事記』において天地開闢の際高天原に現れた造化三柱の一柱で、天の生産・生成を行う創造の神です。新しい表示から消えてしまった剣根命は神武朝によって葛城国造に任命されたと言われるように、大和国の葛城に縁があります。『新撰姓氏録』で大和国の神別氏族である葛城忌寸かつらぎのいみきと河内国の神別氏族である葛城直かつらぎのあたいは剣根命の後裔氏族と記されていますが、陶荒田神社の祭祀を行ったという荒木直も剣根命の子孫と伝わりますので、三者は同系ということになります。

大和国の葛城は奈良盆地の南西、葛城・金剛山の東に拡がる一帯で、現在の御所市、大和高田市、香芝市、葛城市がそれに相当します。大阪湾から奈良盆地を目指して東に向かうにあたり、要となる場所です。ここは古墳時代強大な勢力を誇った葛城氏の本拠地ですが、こちらの葛城氏は武内宿禰たけしうちのすくね葛城襲津彦かづらきのそつひこを祖とする皇別氏族で、葛城国造系統の神別氏族とは異なります。このあたり複雑でわかりにくいのですが、神別の葛城氏と皇別の葛城氏は、時代が下ると婚姻によって同系化しているようで、成務天皇の時代の葛城国造だった荒田彦足尼あらたひこねのすくねの娘は、皇別の葛城襲津彦の母と言われます。

陶荒田神社の祭祀を行ったという荒田直は、葛城国造の荒田彦足尼の流れを汲むのかもしれませんが、いずれにせよ葛城から陶邑に移ったことになります。その理由は当地が五世紀からの須恵器の一大生産地であったことと無関係ではないはずです。神社では崇神天皇の時代に大田田根子が創建したと伝えていますが、実際は三輪山における祭祀で須恵器が用いられるようになった五世紀から六世紀頃に、葛城の荒田直が陶邑に移り、祖神をお祀りしたのが当社の起源ではないでしょうか。主祭神が葛城氏の祖神であることからもそのように思います。

配神の八重事代主命は大国主命の子で、『古事記』では父に代わって高天原の天照大神に国譲りを伝えたとされています。この神を信奉していたのが大和国葛城の賀茂氏で、御所市には事代主をお祀りする鴨都波かもつば神社があります。この神社では大田田根子の孫の大賀茂都美命おおかもつみのみことによる創建と伝えていて、そこから大田田根子と事代主命との繋がりが見えてきます。つまり、陶荒田神社では、大田田根子に縁の土地であることから、事代主命をお祀りしたのではないでしょうか。ですが、記紀に記されている大田田根子伝承にあるように元来ここが大田田根子の根拠地であったなら、大田田根子もお祀りされてしかるべきではないでしょうか。そう思っていたところ、境内の片隅に小さなお社を見つけました。鳥居の奥に見えるのが、大田田根子をお祀りする大田社です。ちなみに同じ一画にお祀りされている玉乃緒社は、造化三柱の一柱である天之御中主命あめのみなかみぬしのみことをお祀りするお社で、この神様は造化三柱の中で最初に現れた神とされています。つまり陶荒田神社の主祭神である高御産巣日神(この神様も造化三柱の一柱)より先に現れたということで、そういう神様を大田田根子と合わせて摂社にお祀りしているところにも、創建当時の歴史が秘められているように思います。

 

陶荒田神社の創建由来に考えを巡らせていると、須恵器の生産技術が三輪山に伝わっていく流れがおぼろげながら見えてきます。三輪山での祭祀に須恵器を用いるため、葛城国造が大田田根子を探しに茅淳県陶邑を訪れ、そこで大田田根子を見つけ三輪山に連れていき、大田田根子が不在になった当地に葛城国造が自らの祖神と大田田根子に縁の事代主命をお祀りした、こんな想像を巡らせたくなっています。

 

余談ですが、記紀によると大田田根子の母は陶津耳の娘で、陶津耳は賀茂御祖神社(下鴨神社)の御祭神である賀茂建角身命の別名でもありますが、京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)の境外摂社に大田神社というのがあり、大田田根子と鴨氏(賀茂氏)の繋がりが感じられます。

 

 

 

 

 

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