目下の関心は大阪と奈良の境界を南北に連なる生駒山地周辺ですが、奈良県側についていえばその範囲は矢田丘陵まで及びます。矢田丘陵は生駒山地と並行する標高二~三百メートル程度のなだらかな丘陵で、南北十三キロほどの丘陵周辺には寺院が点在しています。北には行基開基の霊山寺、東麓には紫陽花で知られる矢田寺、南麓には法隆寺と中宮寺、南東麓には法輪寺と法起寺という具合で、丘陵の傾斜地に立つ矢田寺は別にして、法隆寺や中宮寺、法輪寺、法起寺などは自転車で楽にまわれるような立地ということもあり、斑鳩三塔を訪れた際丘陵の存在を意識することはなかったのですが、これらもれっきとした矢田丘陵周辺の寺院群です。今回は法隆寺と関わりのある松尾寺を取り上げます。
松尾寺は法隆寺から直線距離にして北に二キロほど、矢田丘陵南東の松尾山中腹に鎮座しています。養老二年(七一八)、天武天皇の皇子舎人親王が『日本書紀』編纂の完成と自身の厄除けを祈願し、松尾山に籠もって修行されたところ、満願の日に東に紫雲がたなびき千手千眼観音菩薩(十一面観音)が出現されたことから創建されたと伝わります。以来松尾寺は日本最古の厄除け霊場として参拝者が絶えません。
松尾寺には南惣門と北惣門の二箇所に門があります。公共交通機関や車で行く場合は北惣門から入ることになりますが、本来の正門は南で、南の門から入るには法隆寺から北に山道を歩くことになります。先に法隆寺と関係があるというのはそのためで、松尾寺はかつて法隆寺の別院で法隆寺の僧の修行の場だったようです。実際松尾寺の境内には磐座があり、ここが古代山岳信仰の聖地だったことをうかがわせます。磐座の背後の山には松尾大明神をお祀りする神社が鎮座していることからも、松尾寺の成り立ちがわかります。
こちらが北惣門。門をくぐると百八段の石段が本堂まで導いてくれます。
こちらが南惣門。文久二年(一八六二)建立の本瓦葺総檜造の豪華な四脚門です。
門の左右には風神と雷神が彫刻されていて、格調の高さが感じられます。下は雷神です。
この門から続く道を三百メートルほど南に行くと、舎人親王が観音様を感得されたという伏し拝みの伝承地があります。
境内に戻り、こちらが本堂。もともとあった本堂は建治三年(一二七七)に焼失し、現存の本堂は建武四年(一三三七)の再建です。国の重要文化財。堂内には御本尊の千手千眼観世音菩薩がお祀りされています。秘仏のため通常拝観はできませんが、十一月三日にご開帳になるとのことなので、是非拝観したいものです。
堂内には舎人親王像もお祀りされています。
磐座はこの本堂の奥にあり、磐座のさらに奥には三重塔が、そこから山頂をめざし上がっていくと松尾山神社です。
現存の三重塔は旧材を用いた明治時代の再建とのことですが、寺伝によれば最初の塔は承和二年(八三五)に建てられたようです。後水尾天皇の持仏だった如意輪観音像がお祀りされています。
舎人親王の毛骨を収めたと伝わる十三重の石塔を見ながら石段を上がったところ松尾山神社が鎮座しています。
神社境内からは古瓦や陶器の破片などが見つかっていて、南惣門を出たところにある宝蔵殿に展示されています。
お参りを済ませ石段を下る途中、顔をあげれば目の前に斑鳩の風景が拡がり、はるか彼方には吉野や金剛葛城の山並が望めます。
松尾寺は室町時代以降修験道当山派の拠点としても栄えたといいます。当山派は吉野の金峯山を主な修行場とする真言系の修験道。実際には三十キロ以上離れていますが、厳しい修行をこなす行者にはたいした距離ではなかったでしょうし、この風景を見れば当地が吉野と繋がりを持っていたことは容易に理解できます。
ちなみに宝蔵館には、松尾山神社境内からの出土品のほか、円空作役行者像や平安時代の十一面観音像(重要文化財)などが展示されています。その中でひときわ眼を惹くのはおそらく元は千手観音像だっただろうと思われる焼損仏です。
これは本堂の解体修理中屋根裏から見つかったもので、元の御本尊だったのではないかと考えられているそうです。頭部も腕も焼失し焼け焦げた胴体だけの像ですが、ここまでになると木の生命力が剥き出しになったようで、強く訴えかけるものがあります。この焼損仏を世に広めたのは白洲正子さんでした。白洲さんは『十一面観音巡礼』でこの像を「トルソー」と呼び、「これは正しく自然の木に還元した菩薩の像である。地獄の業火に焼かれ、千数百年の風雪に堪えて、朽木と化したその姿は、身をもって仏の慈悲を示しているような感じがする。」と書かれています。この像にこれ以上の説明は不要でしょう。案内し説明してくださったご住職は、「いまはガラスケースもなくこのように間近で拝観できますが、次回来られたとき同じように拝観できる保証はありません。縁あって今日ここに来られた皆様は、是非お近くでお参りください」と言われました。一期一会。焼損仏の正面に立ち、手をかざすと、ほんのり温かみを感じました。それは木の命のぬくもりであり、ひいては菩薩の慈悲のぬくもりなのでしょう。
次回は是非法隆寺から山道を歩いて松尾寺にお参りしたいと思います。この道は創建当初からそう変わってはいないでしょう。法隆寺創建から千四百年以上、松尾寺創建から千三百年以上。その時間の隔たりを超えて時空に身を浸す喜びというのが、古道にはありますので。