琵琶湖北東の、いわゆる湖北と呼ばれる一帯は観音の里として知られているように、静かな集落にはいくつもの観音堂が点在し、地元の人たちによって大切に観音象が守られています。拙著『近江古事風物誌』でも湖北の観音様との出会いを書きましたが、以前足繁く湖北を訪ね歩いているとき、大音という地名に眼が留まりました。近くには黒田観音堂や赤後寺などがあるので、その辺りを訪ねた時だったと思います。賤ヶ岳の東麓にあって集落の北から西にかけて山が迫っているものの、集落の大半は平野で青々とした田畑が拡がる静かな集落です。そこに大きな音と書く地名がつけられているので、余計気になったということもありました。
湖北は古くから養蚕が盛んな地域で、とくに大音・西山で取れる生糸は良質かつ強靱で琴や三味線などの和楽器に適していることから多くの生糸が作られ、糸引きの里とか琴糸の里と呼ばれていました。戦前には七十軒ほどの工房があり、最盛期には全国で作られる和楽器の糸の九割がここで作られたそうですが、次第に安価な化繊糸に押され、また邦楽自体の衰退もあって、規模の縮小を余儀なくされ、現在では一軒の工房が技術を伝えるのみになってしまいました。そうした中、今も残る大音という地名は図らずも琴糸の生産が盛んだった歴史を思い起こさせてくれるような気がします。今年十数年ぶりに後継者候補の若い女性が二人工房に入ったというので、ここの糸取り技術は今後も絶えることなく伝承されていくことでしょう。
水上勉さんの小説『湖の琴』は、大正の末に生活のため親元を離れて糸取りのために若狭から当地にやってきた娘と土地の若者との悲恋の物語。繊細で寡黙な中に力強さを秘めた湖北の風土に、きめ細かな感情の綾が見事に溶け合っています。小説に描かれた時代から百年ほど、小説が発表された時から五十五年ほどの歳月が経っていて、変わったものもある一方、変わらないものもあり、いまこの小説を読んでも水上さんが捉えた湖北の風土は至るところに感じられます。
ちなみに下は糸取り資料保存館。糸取りに用いる道具などを保存展示していて、事前に申し込めば糸取りの実演を見ることができます。
大音は賤ヶ岳の麓に拡がる伊香郡木之本町の大字だったのが、今から十年ほど前の市町村合併で現在は長浜市に属しています。現在の長浜市は、長浜城や黒壁の町並で知られる長浜から福井県境までの大きな市になり、それによって伊香郡という地名も消滅しました。地名は土地の歴史を伝える大切な語り部です。それが合併によって無情に消されてしまうのは残念でなりませんが、伊香郡の地名はこの土地を古来守り続けてきた神社の名前としてかろうじて残り、いまも地元の人たちの心の拠り所になっています。
神社は伊香具神社といって、賤ヶ岳の南東麓、大音集落の中ほどに鎮座しています。御祭神は伊香津臣命、当地を開拓した伊香連の祖として古くから崇められてきました。ちなみに伊香津臣命は天児屋根命の七代孫と御由緒にあります。天児屋根命は中臣氏が祖神とする神様なので、伊香連と中臣氏は同族関係にあることになりますが、こうした同族系譜は何かの意図の下に作られるものですから、いまはそのように言い伝えられてきたということに触れるに留めておきます。確かなのは古代において伊香連が相当な力を持っていたことで、伊香郡には湖北の中でも突出して前方後円墳の数が多く見られることがそれを裏付けています。
ところで、天から下った天女が水浴びをしている最中に、土地の男性に羽衣を奪われ天に帰ることができなくなり、そのまま男性の妻となって暮らしているうち、再び羽衣を取り返して天に帰っていくという羽衣伝説は、世界各地に見られます。日本では『丹後国風土記』と『近江国風土記』に見られる伝承が最古のようで、そこから各地に広まっていきました。東海道を歩いているとき立ち寄った三保の松原もその一つです。『近江国風土記』にある羽衣伝説は賤ヶ岳の北にある余呉湖が舞台で、次のような内容です。
古老の伝へて曰へらく、近江の国伊香の郡。与胡の郷。伊香の小江。郷の南にあり。天の八女、ともに白鳥となりて、天より降りて、江の南の津に浴みき。時に、伊香刀美、西の山にありて遥かに白鳥を見るに、その形奇異し。因りてもし是れ神人かと疑いて、往きて見るに、実に是れ神人なりき。ここに、伊香刀美、やがて感愛をおこして得還り去らず。窃かに白き犬を遣りて、天の羽衣を盗み取らしむるに、弟の衣を得て隠しき。天女、すなはち知りて、その兄七人は天上に飛び昇るに、その弟一人は得飛び去らず。天路永く塞して、すなわち地民となりき。天女の浴みし浦を、今、神の浦といふ、是なり。伊香刀美、天女の弟女と共に室家〈夫婦)となりて、此処に居み、遂に男女を生みき。(後略) 『帝王編年記』
これに続け、伊香刀美と天女の間に生まれた子が伊香連の祖先とあるように、余呉湖に伝わる羽衣伝説は、伊香連の祖先伝承にもなっています。余呉湖は伊香具神社から北に一キロほど、琵琶湖とは賤ヶ岳で隔てられ、琵琶湖の右上に点を置いたような小さな湖ですが、この話は伊香連の勢力が余呉湖周辺にまで及んでいたことを示す伝承でもあります。ちなみに羽衣伝説は朝鮮半島から丹後や余呉に伝わったと考えられることから、羽衣伝説を祖先伝承に持つ伊香連は渡来人と何らかの密接な関係を持っていたのでしょう。
湖北一帯に勢力を伸ばした伊香連の力の源は何だったのか気になりますが、おそらくそれは琵琶湖の水運ではなかったでしょうか。海人族の安曇氏が湖西の高島を根拠地に琵琶湖水運を掌握していたのと同じように、琵琶湖北東の伊香郡では伊香連が同様の役割を担っていたことが考えられそうです。
前置きが長くなりましたので、この辺で伊香連の祖神をお祀りする伊香具神社へ。参道は桜並木。春はさぞ見事でしょう。
すっきりと明るい境内ですが、一昨年の台風でかなりの被害を被ったそうですから、以前はもっと古木が生い茂る境内だったはずです。
台風は拝殿も破壊してしまいました。
下の写真は伊香刀美と天女の間に生まれた二男二女の兄にあたる意美志留《おみしる》(臣知人命)をお祀りする三宮です。
三宮の説明によると、古代このあたりは琵琶湖の入江で伊香の小江と呼ばれていたようで、神社の一の鳥居前に掛かる小さな石橋や、冒頭の写真に見られる独特の形をした鳥居が古代の地勢を伝えています。この鳥居は大神神社の三ツ鳥居(三輪式)と厳島神社の両部鳥居(厳島式)を組み合わせたもので、前者は神社の背後の山の神様に対し、後者は神社の前に迫る湖の水の神様に対し結界を示しています。ちなみに背後の山は香具山と呼ぶそうで、山中には伊香具神社の境外摂社・意太神社が鎮座しています。意太と書いて「おふと」と読みますが、これは当地の地名大音に繋がるのではないでしょうか。
意太神社でお祀りしているのは迦具土神、火の神様です。香具山の「かぐ」は迦具土神の「かぐ」から来ているのかもしれませんが、迦具土神は火伏せの神であると同時に火を必要とする人たちが信仰する神でもあります。古代火を必要とする人といえば、すぐに思い浮かぶのは製鉄に携わる人です。大音集落から東に三キロほど、紅葉で有名な鶏足寺にも近い古橋からは古代の製鉄遺跡(現時点では滋賀県で最古の製鉄遺跡です)が見つかっているように、古代の伊香郡では製鉄も盛んに行われていたと推測されます。
琵琶湖水運と製鉄を担った伊香連の力が大きくならないわけはないでしょう。
ちなみに大音・西山の生糸が良質で和楽器に適しているのは、賤ヶ岳に湧く水のためと言われています。境内には弘法大師が掘り当てたという独鈷水がありました。