『伊勢物語』七十六段に次のような一節があります。二条の后がまだ東宮の御息所と申されていたとき、氏神(大原野神社)にお詣りされたのですが、その際近衛府に仕えていたある翁が、人々が褒美を賜るついでに、自分も直接褒美を賜わったことから、次のような歌を詠んでさしあげた。
大原や小塩の山も今日こそは 神代のことも思ひ出づらめ
二条の后とは藤原高子、翁とは在原業平。大原は洛西の大原野です。二人はかつて恋仲だったのですが、このたび后の行幸に奉仕することになり、昔に思い至らせたということで、表面的には行幸を祝福する歌ですが、奥底には恋心の名残が感じられます。
この歌に見える小塩山とは、京都の西に連なる西山連山の一つで、東麓には以前このブログでも取り上げた勝持寺や大原野神社などがあります。
十輪寺は、大原野神社から一キロ半ほど南の、小塩山南東麓の山里にあります。
十輪寺は、創建嘉祥三年(八五〇)、文徳天皇の世継ぎ誕生を祈願して伝教大師作の延命地蔵尊を安置したことに始まるとされる天台宗の古刹で、晩年の業平が隠棲したと伝わることから業平寺とも呼ばれます。境内には樹齢二百年近いとされる枝垂れ桜、通称なりひら桜があります。関西の桜の見頃はこれからですが、なりひら桜は今がまさに満開です。
質素な山門。そこに張り紙があって、なりひら桜は三方向から楽しむことができるとあります。一つは池の手前から全景を、二つ目は書院から中庭越しに下から見上げるように、三つ目は裏山から見下ろすように、とのこと。
境内に足を踏み入れると、ご覧のような枝垂れ桜の大木が蒼穹に映え、得も言われぬ光景が拡がっていました。万朶の桜に言葉は無用でしょう。こちらをご覧ください。
池に映じた桜も素敵です。
こちらが書院から見上げた桜。
そしてこちらが、裏山から見下ろした桜。
なりひら桜は四方を建物に囲まれているため、栄養状態も悪く、棒で支えることもできない中、一時は花をつけない時期があったり、次々に枝が枯れたりと、危機的な状況をくぐり抜けながら、二百年近い命を繋いでいるそうです。いつどうなってもおかしくない状態と、お寺の説明にはありますが、今日快晴の空に向かって満開の花を咲かせるこの桜に力強い生命力を感じたのは私だけではないでしょう。危機的状況にあった桜は、一端死をくぐりぬけ、その後新たな命を得て再生したに違いありません。そう思うことで、こちらも励まされます。
ちなみに裏山には在原業平の供養塔と、隠棲中の業平が、難波の海水を汲んで塩を焼く風情を楽しんだと伝わる塩竈があります。業平は二条后が大原野神社に参詣された際、ここで塩を焼いて紫の煙を立ちのぼらせ、思いを託したと伝わります。
業平といえば、東海道の取材中、知立の手前でも伝承地に出会い、それについて「歩いて旅した東海道」の「知立」でも触れましたが、ここ十輪寺に伝わる話も伝承に過ぎないでしょう。そうであっても、そうとわかっていても、ここにいると何だかそういうことがあったような気がしてしまう、伝承の魔力がここにもあるようです。