年が改まって間もない一月十日は十日戎といって、関西各地のえびす様をお祀りする神社で盛大な祭が行われます。
えびす様は、七福神の神様の一柱。狩衣姿で右手に釣り竿、左手に鯛を抱え、目尻を垂らしてにっこりほほえんでいるといえば、すぐにその姿が思い浮かぶでしょう。漁業、五穀豊穣、商売繁盛にご利益のある神様とされ、中でも関西では商売繁盛への期待から、十日戎のときには各地のえびす神社に縁起物を飾った福笹や熊手を求めて大勢の人がお詣りに訪れます。
東京生まれ東京育ちの私には、十日戎はなじみが薄いのですが、関東各地で十一月に盛大に行われる酉の市に通じるところがあるかもしれません。
九日は宵戎、十日が本戎、十一日が残り福といい、写真は大阪の豊中市にある服部天神境内社の豊中えびす神社での残り福のひとこま。熊手は安いものだと千円以下ですが、百万円もする大きなものもあります。
縁起物を買うと、金の烏帽子姿の福娘さんが鈴でお祓いをしてくれます。そしてその後は、みんなで「打ちましょ、パンパン、もうひとつせ、パンパン、祝うて三度、パパンパン」の大阪締め。この独特の手拍子、私には新鮮で見ている分には楽しいのですが、そのリズム感はうまく体になじみません。
えびす様にお詣りした後は、拝殿の後ろに回り込み、「たたき板」と呼ばれる板を木槌で打って、「えべっさん、たのんまっせ」と商売繁盛を念押しするのが習わしです。
神様の後ろに回り込んで、板をたたき、再度ご利益をお願いするとは、関東では考えられないことで、この大らかで明るいノリを見ているだけで、十分福をいただいた気分になります。もちろん私も思いきり板を叩いてまいりました。今年はえべっさんのお力を借りたいことが続出しますので。
豊中えびす神社でいただいた御由緒によると、御祭神は蛭子大神で、兵庫県の西宮神社から御分霊を勧進しています。(西宮神社といえば、開門と同時に一番福男を目指して本殿目指して疾走する開門神事が有名です。)蛭子大神は『古事記』によると伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に生まれた最初の神ですが、不具の子だったために葦の舟に入れて流されてしまったので、二神の子には入れられていません。また『日本書紀』によると、女神である伊弉冉が声をかけたことで結ばれ誕生したことから、三歳になっても足が立たず、天磐櫲樟船に乗せて流された神で、記紀どちらにも生み損ないの神として記されています。
こうした神話は東南アジアに伝わる神話の流れを汲むと考えられていて、日本各地に蛭子が流れ着いたという伝説が伝わっています。豊中えびす神社の元である西宮神社近くにも、蛭子が流れ着いたという伝説があるそうです。えびす神には時代を経ていくつもの神格が加わっていますが、本来海の向こうからやってきた神、つまり海神が元になっているのは確かのようです。蛭子大神がえびす神社の祭神とされているのは、海に流された蛭子の神話が海神と結びついたためでしょう。(ちなみにえびす神は、蛭子大神のほか、大国主神の子である事代主神とされることもあります。)
えびすは戎、夷、胡、蛭子、恵比寿、恵美須などさまざまに表記されます。戎や夷には猛々しいイメージがありますが、恵比須や恵美須になると福の神としてのほっこりとしたイメージです。古代の日本列島において外来者は新しい技術や知識などをもたらす存在として受け止められることのほうが多かったことから、えびす神が福の神として、現在なおこれだけ愛され、信仰されているような気がしています。