古社寺風景

禅定寺

先日京田辺にある大御堂観音寺について投稿しました。観音寺には御本尊として国宝のすばらしい十一面観音像がお祀りされているのですが、ご住職から観音寺についての話をうかがう中で、南山城にはまだ訪れたことのない古刹がいくつもあることに気づかされました。

観音寺のところでも触れたように、南山城といったとき、相楽郡南山城村だけではなく、京田辺市、宇治田原町、木津川市、精華町、笠置町、和束町一帯の広い範囲を指し、南は大和国(奈良県)、西は摂津国・河内国(大阪府)、北は山城国や近江国(滋賀県)、東は伊賀国(三重県)に接しています。中央を流れる木津川は奈良の都と京都、琵琶湖、大阪湾といった場所とを結びつける重要な交通路だったことから、古来南山城は政治、経済、文化といった各方面で重要な役割を担ってきました。平城京に都が移った際、元明天皇が木津川のほとりに離宮を営まれましたし、後の聖武天皇の時代には短期間とはいえ都(恭仁京)が置かれたこともあります。そういう地域なので、南山城に点在するお寺は、奈良時代まで歴史を遡る古刹が多く、仏像も極めて質の高いものが多く残されています。先日投稿した大御堂観音寺の国宝仏・十一面観音像はまさにその一つだったのですが、禅定寺にも大ぶりで優雅な十一面観音像が伝わっているというので、拝観できる日を心待ちにしていました。

禅定寺があるのは宇治田原の北部、大津市に接した山里です。現代人の感覚ですと交通の便が悪く車でないと行くのが難しいため、観光とは無縁の静かな集落ですが、ここは古代奈良の東大寺と近江国の石山を結ぶ道の一つ、田原道が通る交通の要衝でした。また琵琶湖の南端から流れ出した水は瀬田川となって南下し、やがて宇治川となって最後は大阪湾に注ぎますが、禅定寺のすぐ近くには支流の田原川が流れていることから、水運による往来もありました。

禅定寺の歴史は、そうした土地の歴史に重なります。

寺伝によれば、東大寺の別当をつとめていた平崇へいそが、藤原兼家(道長の父)の帰依を受け、永延元年(九八七)私領の山野を卜定ぼくじょうしてお寺の造営を開始、正暦二年(九九一)に完成した本堂に十一面観音像をお祀りしたことに始まるようですが、元々このあたりは久和利くわり郷(桑在とも)と呼ばれ、興福寺の末寺として平安時代の中頃既に存在していた桑在寺くわりじが、禅定寺の前身という説もあるようです。いずれにせよ、奈良との結びつきの中で創建されたお寺です。創建当時は天台宗で、平崇が東大寺に建てた正法院の末寺でしたが、平崇が施入した田畑に加え、藤原摂関家による寄進もあって禅定寺は次第に所領を拡げ、七堂伽藍が建ち並ぶ大寺院になりました。

平崇亡き後五十年ほど経った延久三年(一〇七一)、宇治の平等院の末寺になると、関白藤原忠実や四条宮寛子(道長の三男頼道の娘で、後冷泉天皇の后)らからの寄進もあり、より一層の発展を見ましたが、鎌倉時代以降徐々に寺運が傾きはじめます。再興されたのは江戸時代になってからで、延宝八年(一六八〇)加賀国大乗寺の月舟宗胡が、加賀藩家老・本多政長の援助を得て諸堂を再建したといいます。曹洞宗に改宗されたのはその頃で、現在に至っています。

  

山門をくぐると茅正面に葺きの本堂。それに続け、向かって右に観音堂や十八善神堂、地蔵堂が並んでいます。御本尊の十一面観音像は、元は観音堂にお祀りされていましたが、現在は収蔵庫に移されています。

一通りの拝観を終え、収蔵庫の扉を開けると、そこには聞きしに勝る見事な諸仏が並んでいました。

正面中央には高さ三メートル近い十一面観音像。国の重要文化財です。

最初大きさに圧倒されますが、すぐに身近な観音様に思えるのは、優しく優美なその雰囲気のためでしょうか。観音寺の十一面観音を拝観したとき、聖林寺のものに似ているけれど、聖林寺の十一面より柔和な感じがすると書きましたが、いま禅定寺の十一面観音像の前に立つと、観音寺の十一面観音は柔和というより高貴と言ったほうが相応しく、柔和なのはむしろ禅定寺の十一面ではないかと思えてきます。ただそれは、単に優しいというだけの表情ではなく、青年のような溌剌とした精気と慈愛が混ざり合ったもので、さしのべられた手に思わず触れたくなるような温かみのある像です。

宇治平等院の阿弥陀如来の作者である定朝の若いときのものではないかとか、定朝の父・康尚によるものではないかとか、あるいは東大寺の真言系の仏師によるものではないかとか、専門家の間で様々言われていて、いまだはっきりしたことがわからないようですが、奈良時代の写実を巧みに表す技術に平等院の阿弥陀如来のような量感と優美さを兼ね備えた技術が融合した禅定寺の十一面観音像は、当時において非常に個性的でなおかつ高い技術を持った仏師が手がけたものであることは間違いないでしょう。黄金の舟形光背は後からのもののようですが、そこに施された蓮のレリーフもまた優美で、三メートル近い大きな十一面観音を荘厳するのに相応しい華やかなものです。

十一面観音像のほか、収蔵庫には日光・月光菩薩像、四天王像、文殊菩薩像、地蔵菩薩像といったいずれも平安時代のものと思われる仏像が並び、壮観の一言。気品溢れる日光・月光菩薩、躍動感溢れる四天王像。文殊菩薩は宋から将来したものの可能性があるようですが、これもたっぷりとした造形に高貴な雰囲気があふれ出る見事な像です。ここにあげた諸仏も重要文化財です。

 

禅定寺の十一面観音像は昭和十一年に当時の基準で国宝に指定され、人々に知られるところとなりました。若干補修の手が入っているなどの理由で、現在は重要文化財ですが、ご住職によると今後国宝に指定される可能性もあるそうです。

境内には他に拝観者はなく、収蔵庫でも一人これらの諸仏を前に時を過ごすことができたのは僥倖の限り。こうした発見があるのが南山城の面白さなのです。

 

 

 

 

 

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