顔が映り込むほどの見事な照り、ほんのり桜色を帯びた柔らかな色…。目で捉えたままの美しさを写真でお伝えできないのが残念ですが、これは日本で一番大きな湖・琵琶湖で育まれたものです。
いまから十数年前、ドイツ人のご夫妻を琵琶湖周辺にご案内したことがあるのですが、そのときご夫人は以前ドイツで求めたというマルチカラーで大粒の素敵な真珠のネックレスをして来られました。
「素敵なネックレスですね」と言うと、「これば琵琶湖で採れた真珠で、もうこれからあまり採れないかもしれないというので求めたものなんですよ。今回琵琶湖に行くというので、これをつけてきました」とのことでした。
そのころ私は夢中で琵琶湖周辺の取材をしていたのですが、琵琶湖でそんなに美しく大きな真珠が採れるとは知りませんでした。無知を恥じると同時に、改めて琵琶湖の力に感じ入ったものです。それから機会があるごとに、琵琶湖の真珠を探してきましたが、先のご夫人がつけていたような大粒の真珠を目にすることはありませんでした。
琵琶湖の真珠養殖は一九三〇年ごろから草津の内湖などを中心に始まり、六〇年代から七〇年代にかけて生産量が急増、「BIWA PEARL」の名でヨーロッパを中心に多くが輸出されていました。
「小さいのも大きいのも、全部持っていったよ」
養殖業者さんがそう言うように、最盛期の七〇年代には年間六〇〇〇キログラムを超える真珠が輸出されていたといいますから、琵琶湖真珠の海外での人気ぶりがうかがえます。
ドイツ人のご婦人がドイツで購入された真珠も、そうした全盛期のものでしょう。
ところが八〇年代半ばごろから、母貝であるイケチョウガイが生育不足に陥り生産量が減ってしまいます。同時にそのころから中国産の淡水真珠が出回るようになり、価格の面でも琵琶湖の真珠は不利になり、琵琶湖の真珠養殖は風前の灯火に…。
養殖業者も全盛期には八十近くあったものが、二〇一三年には十まで落ち込んでいましたが、その後水草を刈り取って水質改善を図ったところ、少しずつ生産量が増えてきたことから、今年の春には琵琶湖真珠再生に向けて県も本腰を入れ始めたそうです。
琵琶湖の真珠はじっくりと数年の歳月をかけて育て上げられるので、巻きが厚くなります。奥からわき上がるような輝きは、そこから生まれるのです。写真の真珠は、五年以上はかかっているそうです。生産量が減っても地道に養殖を続けてこられた生産者の方の努力の賜です。
全盛期は多くが輸出され国内にあまり出回らなかったこともあり、琵琶湖真珠の知名度は低く、一般的に私たちが真珠といったときは、伊勢や宇和島などで採れる海の真珠を思い浮かべます。伊勢や宇和島の真珠がすばらしいのは言うまでもありませんが、これからはそこにもう一つ、琵琶湖真珠を加えたい…。
琵琶湖は刻々と湖面の色彩を変化させます。変幻自在に。
琵琶湖真珠のニュアンスに富んだ色彩は、まさに琵琶湖そのものといった感じがします。
この湖を大切に思う一人として、琵琶湖で育まれた琵琶湖真珠のすばらしさを多くの人に知っていただき、琵琶湖の名産品として本格的に復活してほしいと願ってやみません。