旧東海道の宿場風景がよく残っている関宿で、毎年七月末の土日に祇園夏祭りが行われます。
祭は大きくわけて二本立て。関神社の御輿渡御と関宿を構成する新所・中町・木崎地区から出る四基の山車巡行です。
関の大庄家原久太夫家文書によれば、かつて加行山に鈴鹿山麓七郷の総社・笛吹大神社がありましたが、鈴鹿川を隔てた不便な場所だったことから、現在地に社殿を建て改めて奉祀したのが関神社とのことで、夏祭りでの御輿渡御は旧社地から御神霊を遷す様をあらわしているとされます。
夕刻関に着くと、ちょうど御輿が関宿の西から御旅所に向かって渡御しているところでした。
御輿が御旅所に到着したのを見届け旧東海道を東に歩いていくと、今度は旧東海道を山車が巡行している場面に行き会いました。上の写真は中町四番町のもので、関の山車では唯一の塗造りです。
こちらは木崎町の山車。一説には水口から譲られたものだとか。
あいにく四基すべての山車を見ることはできませんでしたが、北裏のものはからくり人形があるそうです。からくりのある山車といえば知立神社の知立祭りを思い出します。東海地方特有のからくりが関にも見られるということは、ここがまだぎりぎり東海色を残した土地柄だということかもしれません。
とある旧東海道沿いのお宅の土間でお茶をいただきながら、山車の巡行を見る機会がありました。関の山車はゆったりと進んでいきます。おっとりした感じは関らしい気がします。迫力ある巡行ではありませんが、軒先ぎりぎりのところを通過するときは高揚感に包まれます。
鈴鹿峠を越えればもうそこは完全に関西圏です。
夏の夜、関宿に灯る灯りが幻想的でした。
ちなみに関の山という表現は、ここ関の山車に由来すると言われています。
かつて関祭の山車は十六基も出て大変な賑わいでした。関の山車はどれも精一杯贅を尽くしていましたし、関の山車で道が溢れそうになったことなどから、関の山=これ以上はできない限度、となったのだとか。