寄り道東海道

女人堤防

庄野宿を出ると旧東海道は汲川原町に入ります。江戸時代は下の写真にあるように神戸藩領で、ここから西が亀山藩領という境界にあたる場所でした。

町の南を鈴鹿川が東に向かって流れています。加えて支流の安楽川と鈴鹿川の合流地点に近いこともあり、昔から川の氾濫に幾度となく苦しめられてきたことから、堤防を築きたいと住民たちが藩に願い出ましたが、堤防を築くと川の右岸にある神戸城下が浸水する恐れがあるとの理由で許可が下りませんでした。とはいえ、川はたびたび氾濫し人命を脅かします。許可なしに工事をすれば打ち首の刑に処せられますが、このままというわけにはいきません。そこで立ち上がったのが村人の菊という女性でした。

男たちがみな処刑されてしまったら村の生活は終わってしまう。それなら女たちでやりましょうと。

総勢二百人ほどの女性たちで夜中に少しずつ堤防を築き、およそ六年がかりで完成させたのが女人堤防です。冒頭の写真、左に見えるのがそれを記念する石碑で、堤防は鈴鹿川に対して直角に南北四百メートルほどにわたり築かれました。(石碑の左右方向です)ということは、西側からの水を防ぐための堤防で、これを築いたことで神戸城下が浸水することはありませんから、この話は史実ではない可能性が高そうですが、ともあれ堤防が築かれたことは事実です。

言い伝えでは、家老松野清邦の嘆願によって菊たちの処刑は取り下げられ、命がけで堤防を築いた行為に対し恩賞が与えられたそうです。

時の藩主は本多忠升ほんだただたか。女だけで工事を行ったかどうかはともかく、村人たちが苦労して堤防を築いていたことが事前に耳に入っていたことからの恩賞だったのではないでしょうか。

庄野から関まで、旧東海道を歩いていると、時おり鈴鹿川の流れを目にします。上流に行くにつれ流れは清冽になり、眼に涼しい風景ですが、豊かな川を抱く土地は自然災害と隣り合わせです。こうした話に触れるたび、土地の人たちの努力で今があるということを痛感します。

 

 

 

 

 

関連記事

  1. 寄り道東海道

    諏訪原城跡

    金谷の石畳道を上り一息ついたあたりに、諏訪原城跡を示す案内表示が立って…

  2. 寄り道東海道

    西明寺

    名鉄御油駅から直線距離にして東に五百メートルほどのところに、平安時代創…

  3. 寄り道東海道

    大師河原 慶安の酒合戦(水鳥の祭)

    慶安元年(一六四八)、大師河原で歴史に残る酒合戦が行われました。…

  4. 寄り道東海道

    浜田城址と鵜森神社

    近鉄四日市駅の南西二百メートルほどのところに鵜の森公園がありますが、こ…

  5. 寄り道東海道

    広重の住居跡

    庶民の間でも旅が盛んに行われるようになった江戸時代、東海道をテーマにし…

  6. 寄り道東海道

    駿河国一宮 富士山本宮浅間大社

    あけましておめでとうございます。新年早々にアクセスしてくださり、どうも…

最近の記事

連載記事

  1. 登録されている記事はございません。

アーカイブ

  1. 歴史散歩

    難波宮跡
  2. 東海道の祭

    見付天神裸祭
  3. すばらしい手仕事

    箱根の寄せ木細工
  4. 心に留まった風景

    犬鳴山七宝瀧寺
  5. 祭祀風景

    六波羅蜜寺の萬燈会
PAGE TOP