賀茂川と高野川が合流する鴨川デルタの北、京都下鴨神社(賀茂御祖神社)の南に拡がる糺の森の南端に、三井家北家(総領家)第十代三井八郎右衛門 高棟(一八五七~一九四八)によって造られた別邸があります。
こちらがその賀茂川と高野川が合流するデルタ地帯です。写真左下の左の川が賀茂川、右が高野川で、奥に見える木立の先に下鴨別邸があります。写真右下はまさに賀茂川と高野川が合流する場所。この先鴨川として京都の町を南流します。
下鴨別邸は、明治三十一年(一八九八)三井家が購入した土地に、明治四十二年(一九〇九)三井家の遠祖三井高安の三百年忌に際し祖霊社である顕名霊社を遷し、参拝の際の休憩所として整えられたことに始まります。
敷地はおよそ一七二四坪。木造三階建ての主屋、平屋の玄関棟、茶室の三棟と庭園から成ります。
主屋は鴨川沿いにあった三井家の木屋町別邸から移築されたもの。木屋町別邸は明治十三年(一八八〇)築、第八代高福と第九代・高朗が晩年使っていた建物で、下鴨に移築されるとこの建物に増築する形で玄関棟が新たに建てられました。
茶室は修復中に慶応四年と書かれた祈祷札が確認されたことから、三井家がこの土地を購入した際、すでにあったものではないかということです。
主屋の南に拡がる庭は、今はご覧の通りきれいに整備されていますが、修復前はかなり荒れており、池の水も涸れていたそうです。
この別邸を手がけた高棟は、三井越後屋に始まり昭和二十年(一九四五)に財閥が解体されるまでの二七二年に及ぶ三井家の歴史において、最も繁栄した明治から昭和の初めにかけて当主を務めています。三井家の繁栄の象徴ともいえる別邸ですが、建物は意外にも簡素です。三階の望楼から鴨川や東山の景色を楽しむ。それが何よりの贅沢ですし、この別邸は三井家の祖霊をお祀りする顕名霊社にお詣りした際の休憩所として造られたものですから、いわゆる豪華絢爛な装飾はむしろそぐわないと思ったかもしれません。
顕名霊社へのお詣りの際には、一階は参拝者たちの茶席となり、二階客室では一族が寛いだようです。
戦後国有化され、隣接する京都家庭裁判所の所長舎として平成十九年(二〇〇七)まで使われてきたことから、それまでその存在がほとんど知られていませんでしたが、平成二十三年(二〇一一)国の重要文化財指定を受けて、京都市が管理者となり復旧工事に着手、平成二十八年(二〇一六)から一般公開されています。
明治から大正にかけて豪商によって建てられた和風建築がほとんど現存しない中、この下鴨別邸は大変貴重です。