岡崎城から西におよそ八百メートル、愛知環状鉄道の中岡崎駅の西に八帖町というところがあります。現在は八帖と書きますが、かつては八丁でした。これは岡崎城から八町(およそ八百七十メートル)の距離にあることに由来すると言われていますが、この八丁村には江戸時代初めから味噌を造っている二軒の味噌蔵がありました。現在も旧東海道沿いで営業しているカクキューとまるやがそれで、八丁村で作られた味噌ということから八丁味噌と呼ばれています。
冒頭の写真はカクキューで見学させていただいたときのもの。木桶は高さ一、八メートルほど、上に天然の川石を円錐状に積み上げ、二夏二冬熟成させることによって、コクのある八丁味噌が出来ます。
長期間の熟成により色が濃く固い味噌ですが、見た目の割には塩はきつくありません。
八丁味噌は米麹や麦麹を使わず、豆麹で造られる豆味噌の一種で、極力水分を押さえ長期間にわたって熟成させて造られることから保存性に優れ、三河武士の兵糧として岡崎藩の保護を受け発展しました。
八丁味噌といえば、昨今ニュースで取り上げられているように、地理的表示(GI)保護制度における八丁味噌の登録をめぐって、カクキューとまるやの老舗二社と、それ以外の愛知県内の味噌生産者による愛知県味噌溜醤油工業協同組合が対立しています。
地理的表示保護制度というのは、「伝統的な生産方法や気候・風土・土壌などの生産地等の特性が、品質等の特性に結びついている産品について、その産品の名称(地理的表示)を知的財産として登録し保護する制度」です。
これが設けられてすぐの二〇一五年、老舗二社がまずGIに登録申請をしました。それから一月もしないうち、愛知県味噌溜醤油工業協同組合も登録申請をします。管轄の農林水産省は、岡崎だけでなく長らく愛知県内で生産されてきたことを理由に登録の一本化を要請しますが、老舗二社は反発、申請を取り下げたことから、昨年十二月農林水産省は愛知県味噌溜醤油工業協同組合だけを八丁味噌の生産者団体として登録しました。
老舗二社の生産量は全体の半分以上を占めています。「県内に生産地域を広げ製法の基準を緩くすれば、品質を保てず顧客をだますことになる」として、二社は今年三月に不服申立てをしたところ、政府は老舗二社が愛知県味噌溜醤油工業協同組合に加入するか、生産者団体として追加申請して認められればGI表示ができるとしました。この問題は、未だ決着がついていません。
国が愛知県味噌溜醤油工業協同組合の申請を認めた理由としてあげているのは、昭和初期には岡崎だけでなく県内に生産が広がっていた、老舗二社の製法も機械化されるなど江戸時代から全く変わらないわけではないといったことのようですが、そもそも八丁味噌というのは岡崎の八丁村で独自の製法で作られた味噌のことで、二社には岡崎の八丁村における江戸時代以来の歴史があります。岡崎の歴史あっての八丁味噌であることを無視したやり方には疑問を感じざるを得ません。
国としては、内輪もめで時間を取られるより早く八丁味噌の名を商標登録しないと、中国企業に商標を取られてしまう恐れがあるということもあるようで、それはそれで問題ですが、そもそも最初の申請時の判断に問題があったのではないでしょうか。
カクキューとまるやのある八丁村(現八帖町)には東海道が通っているだけでなく、町のすぐ西には矢作川が流れています。かつては矢作橋のところに船着き場があり、味噌の原料やできあがった味噌の運搬に、この水運が大いに利用されたそうです。東海道を往来する大名たちやお伊勢参りに行く人々が、八丁味噌を土産に持ち帰り、その名を広めもしました。八丁味噌は八帖町と共にあることを忘れてはなりませんし、八丁味噌を守っていくには、私たち消費者の歴史に対する理解も不可欠のように思います。