大阪の天王寺は、以前当ブログでもご紹介した四天王寺に由来するように、歴史都市という顔を持つ一方で、近年は通天閣やビリケンさん、芝居小屋などが集まる、いわゆるこてこての大阪「新世界」の街ですが、今から四年前に日本一の超高層ビル「あべのハルカス」が出来たことで、キタ(梅田周辺)、ミナミ(難波周辺)に負けじとお洒落なお店も増え、一大商業エリアとして一層の賑わいを見せています。
そんな天王寺の駅から北に二百メートルほどのところに、住友家第十五代吉左衛門(友純 一八六五~一九二六)が茶臼山本邸の庭園として造営した慶沢園があります。
手がけたのは京都岡崎にある別荘群の庭を手がけたことで知られる七代目小川治兵衛。およそ十年の歳月をかけ大正七年(一九一八)に完成しました。
庭の面積はおよそ二千四百坪。大名庭園風の林泉回遊式庭園で、小川治兵衛が得意とする水景を中心とした明るく拡がりのある空間が訪問者を安らぎの世界へと誘ってくれます。
庭園内には各地から集めた名石、名木が巧みに配されています。
庭園の奥には滝も。初夏のような陽気のこの日、滝音に涼をもらいました。
大正十四年(一九二五)に住友家本邸が神戸に移転したことにより、慶沢園に隣接する旧本邸敷地と茶臼山が大阪市に美術館用地として寄贈されたため、住友時代のものとして残るのは慶沢園だけです。(旧本邸敷地には現在大阪市立美術館が建っています)
庭の北側に来るまで、視界に高い建物はほとんど入らず、ここが天王寺であることを忘れてしまいそうになります。
周囲の開発が進めば進むほど、慶沢園の非日常性は高まっていきます。四阿で静かに庭を眺める人が目に付きました。
ちなみに慶沢園と河底池を挟んだ北側には茶臼山があります。
茶臼山といえば、大坂冬の陣(一六一四)の際には家康が、大坂夏の陣(一六一五)の際には真田幸村がそれぞれ本陣を構えた場所です。とくに夏の陣では家康も死を覚悟するほどの激戦が茶臼山で繰り広げられました。
一大繁華街にありながら、その喧噪から隔離された茶臼山周辺には、さまざまな歴史が堆積しています。