先日投稿した新居の関所の裏番所として、姫街道の宿場だった気賀にも関所が置かれました。
気賀は、北は標高千メートルを超える山々、南は浜名湖、東は都田川や井伊谷川に囲まれた要害の地で、気賀の関所も新居同様に厳しい取り締まりが厳しく、関所を抜けるのは容易ではありませんでした。特に女性の通行には目を光らせており、女性一人通過するために十名分の署名が必要だったという記録もあるそうです。
設置時期は東海道の新居の関所同様に慶長六年(一六〇一)という説が一般的ですが、慶長地震の後という説もあり、確かなことはわかっていません。とはいえ、江戸時代の初期から通行人を監視してきたことは確かです。
気賀の関所は明治ごろまでは残っていて、警備の人の詰所である本番所も昭和三十五年までありましたが、どういう事情でか解体されてしまい、現在は関所が置かれていた場所に冒頭や下の写真のように看板があるのみです。
関所は跡形もありませんが、周辺に暮らす住民のために計られた便宜の名残はかろうじて残されています。それが下の写真にも見える「犬くぐり道」です。
隣村や遠くの畑に行くのに、通行手形がなければ通れないというのでは大変不便です。村人たちがその状況をなんとかしてもらえないかと時の殿様に願い出たところ、法は曲げることができないので、「では犬の通る道を作ってやれ」ということになり、関所の裏の山に沿って細い道が造られました。
その道は所々に筵が垂らされ、下が少し開けられており、これは犬が通る道だという建前で、村人たちが往来したのです。
現在も細くうねうねとした道の感じは残っていて、よそ様の敷地に入り込んだようで緊張しながら歩く道もあります。
ちなみに平成二年(一九九〇)に気賀駅の南西に関所が復元されていますが、こういうものは実際にあった場所でないと……と思ってしまいます。