時代が明治になると、旧幕臣たちが牧ノ原台地を開墾し、そこで茶の栽培を始めましたが、そこには島田や金谷の川越人足たちも加わっていました。
開墾事業が軌道に乗ってくると、島田・金谷間を行き来する必要が生じますが、その都度大井川を小船で往来するのは危険が伴い大変です。
大井川に橋を架けたい……。
島田宿の開墾人総代たちが静岡県令(当時の知事)に架橋を願い出て、明治十二年(一八七九)完成したのが逢来橋です。
大井川には現在いくつもの橋が架けられています。旧東海道歩きで渡るのは、逢来橋から三キロほど上流の大井川橋です。大井川橋のことは、連載「歩いて旅した東海道 金谷」で触れますので、今ここには書きませんが、大井川橋も逢来橋も、ひとたび完成しても洪水で流されてしまい、何度も掛け替えを余儀なくされました。それだけ大井川の流れが速かったのです。
逢来橋は平成九(一九九七)年に、世界一長い木製の橋としてギネス世界記録に認定されました。長さは八九七、四メートル。「やくなし」=厄なし、「長い木の橋」=長生きの橋、ということで縁起が良い橋として今や人気の橋になっています。
九百メートル近くあるので、ゆっくり歩くと十五分近くかかりますが、朝日に照らされた川面を眺めながらの渡橋は気持ちのよいものです。
ちなみに蓬莱橋という名前は、徳川家達が牧ノ原台地を開墾する旧幕臣たちを激励しに訪れた際、牧ノ原台地を宝の山にたとえて命名したと言われています。