興津の清見寺で三保の松原が話題に上がって以来、江尻に来たら三保の松原まで足を延ばそうと思っていました。
巴川の河口、駿河湾に突き出た長さ四キロほどの砂嘴が三保半島。古来景勝地として知られた三保の松原はその東岸におよそ七キロにわたって続いています。
三保の松原は、今から五年前の二〇一三年、「富士山 信仰の対象と芸術の源泉」の構成遺産の一つとしてUNESCOの世界遺産に登録されましたが、その過程でICOMOS(国際記念物遺跡会議)より三保の松原は富士山から四十五キロも離れているために、三保の松原を除いた上で登録すべきと勧告され、三保の松原を重要視する日本側と対立、最終的に三保の松原も富士山の信仰と芸術に欠かすことのできない要素と認められた経緯は記憶に新しいことと思います。
富士山にとって三保の松原は欠かせないし、三保の松原にとっても富士山は欠かせません。本当なら冒頭の写真に、富士山がくっきりと見える写真を載せたかったのですが、私との相性がよくないのか、結局三度訪ねても三度とも富士山は完全に雲の中でした。
見たかった三保の松原の風景はこちらです。(写真は著作権フリーのものをお借りしました。)松の緑に縁取られ弧を描く海岸線の先に、両袖をゆったりと広げ聳える富士山が望めるこの風景は、見ているだけで心が豊かになります。実際に自分の目でこの風景を見られる日を楽しみにしています。四度目の正直となるでしょうか。
ところで三保の松原といえば、謡曲「羽衣」の舞台になっているように、羽衣伝説との関係を思い浮かべます。
三保に伝わる羽衣伝説は次のような内容です。
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三保の海岸で白龍という名の漁師が釣りをしていると、どこからともなく良い香りが漂ってきました。その香りに誘われ海岸を歩いていくと、一本の松に見たことのない美しい衣が掛けられ風に揺れていました。あまりに美しいので持ち帰ろうと衣に手をかけようとしたとき、「それは私のものです」と声がして、美しい女性が現れました。
「私は天女でその衣がないと天に帰ることができません」
それを聞いた白龍は、衣を返す替わりに舞を舞ってほしいと頼みますが、衣を返すと舞を舞わずに帰ってしまうかもしれないと疑念を抱き、それが天女に伝わってしまいます。
「疑いや偽りは人間の世界だけのこと、天上にはございません」
天女はそう白龍に言うと、優雅に舞いながら次第に天に昇り、やがて富士にかかる霧の彼方に消えていきました。
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羽衣伝説は、世界各地に見られる白鳥処女説話の一つ。日本では『近江国風土記』に見られる滋賀県長浜市の余呉湖を舞台としたものが最古の伝承で、その後各地に広まっていきましたが、その土地土地に根付く際に少しずつ細部を変化させ、土地固有の話になっています。
三保ではなんと言っても霊峰富士の存在が物語をより神秘的にしています。
ちなみに、富士市の比奈に伝わるかぐや姫伝説でも、かぐや姫は富士山に帰っていくと伝えられています。かぐや姫も羽衣天女も、話の源は同じところにありそうです。(連載 「歩いて旅した東海道 吉原」で比奈のかぐや姫伝説について触れていますので、ご興味ありましたらどうぞご覧くださいませ。)
では早速三保の松原へ。
上の写真は「富士山 信仰の対象と芸術の源泉」の構成遺産の一つ、御穂神社です。羽衣の切れ端と伝わる布が伝えられています。
創建時期は不詳、当初別の場所にありましたが、大永二年(一五二二)現在地に遷座しています。御祭神は大己貴命、三穂津姫命。夫婦和合、縁結び、安産子育て、福徳医薬の神、航海安全、漁業、農業、文学、歌舞、音曲の神と仰がれ、古来朝廷や武将らから多くの崇敬を集めてきました。
鳥居前から松並木の参道が一直線に海岸に向かって延びています。この先にある羽衣の松は御穂神社の御祭神が降臨される依り代とされており、神事の際には神様はここを通って神社に来られることから、「神の道」と呼ばれますが、下の写真のように夕暮れ時ともなると足もとを照らす照明の効果もあって幻想的な雰囲気になります。まるで能の橋がかりのようで、五百メートルほどの参道を歩き進むにつれ、異なる時空に入っていくような気分にさせられます。新しい参道ですが、羽衣伝説の舞台に通じる見事な舞台装置に思えます。
この参道が終わると先に見えてくるのが冒頭の写真の風景です。
そして羽衣伝説の松がこちらです。現在の松は今から八年前に世代交代した三代目。伝説を背負い見事な枝振りを見せてくれています。
松林の中を通る散策路を歩き、また浜辺に出てみました。
この浜辺を見ていたら、中学生になったばかりのころ家族と三保の松原を訪れた記憶が蘇りました。妹と一緒に浜を走っていたら、富士山がうっすらとではありましたがずいぶんと大きく見え、思わず立ち止まったものです。
一度ここで富士山に出会えているのだから、決して相性が悪いということではなさそうです。三保の松原から富士山を眺めることができる日が来ることを願い、浜辺を後にしました。