三島を歩いていると、あちらこちらで富士山の伏流水を源とする清流を目にします。写真は源兵衛川といい、水の都三島を代表する湧水河川です。
水源は三島駅前にある楽寿園内にある小浜池で、室町時代に周辺の村々に水を供給するため、楽寿園の南およそ一、五キロのところにある中郷温水池までの間が掘削され、それが源兵衛川となりました。
本来は農業用水でしたが、昭和三十年代ごろには、川沿いの家々は「川端」と呼ばれる張り出しをこしらえ、川で洗いものをしたり、夏場には川端の杭に舟をくくりつけ、そこに食料を入れて水の流れで冷やしたりと、地元の人たちは源兵衛川の水をうまく利用ながら暮らしてきました。
自分のところに川端がないときでも、共同の川端を利用することができたそうです。そうなると、そこは家事をする女性たちの井戸端会議所になります。
復元された川端から川面を眺めていると、その賑やかな様子が目に浮かぶようです。
余談ですが、川端と聞いて思い浮かべたのは、滋賀県高島市針江の「川端」です。(針江では川端と書いて「かばた」と読みます)
針江は背後に比良山を背負った安曇川の下流の扇状地にあり、伏流水があちらこちらから湧き出ています。その湧水を家の中に引き入れ炊事や飲料に使っていて、針江ではその独自の水の利用方法を川端と呼んでいます。テレビなどで紹介されたので、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。
実は私自身、川端の暮らしに惹かれ、『近江古事風物誌』で一章を設けました。上の写真はその取材で訪れた、とあるお宅の川端です。
見ておわかりの通り、同じ川端でも三島の川端とは全く異なりますが、三島の清流沿いを歩いていて、ここにもかつて川端があり伏流水の恵みで暮らしてきたことを知り、何とも言えない親近感を覚えました。現在の三島で川端を使った暮らしが続いていると、なおよかったのですが…。
三島の源兵川は、昭和三十年代後半ごろから、家庭の雑排水の垂れ流しなどで汚染されたり、大量の地下水くみ上げによって水が枯れた時期もありましたが、平成に入ってから市民が中心となった活動が功を奏し、次第にかつての姿を取り戻していきました。
いまでは初夏になると蛍が飛び交うそうです。夏にこの清流沿いを歩いたら、さぞかし気持ちがいいでしょう。