慶安元年(一六四八)、大師河原で歴史に残る酒合戦が行われました。
東軍は江戸の医者で儒学者だった地黄坊樽次(茨城春朔)を主将に、鎌倉の甚鉄坊常赤、川崎の小倉又兵衛忠酔、小石川の佐藤権兵衛むねあか、平塚の来見坊たるもち、浅草の名古屋半之丞もりやす、等々総勢十七名。
対する西軍は大蛇丸底深(二十一代池上幸広)を主将に、池上四郎兵衛常広、竹野小太郎たらひ呑、米倉八左衛門はきつぐ、池上長吉底成、田中内徳坊呑久、等々、一族を中心に総勢十五名。
彼らは大師河原の幸広の屋敷に結集し、三日三晩にわたって酒合戦を繰り広げたといいます。
東軍主将の茨城春朔が、その様子を仮名草子『水鳥記』に記しています。酒という字が、「さんずい」と「とり」によることにちなんで付けられた題。そこにこう書かれています。
ちからなく、そこふかも、たるつくの御前にひさまつき、今よりのちは、御もんくわい に、こまをつなき申さんとありしかは、樽次大きにうちわらひ、さてはそこふかとのも、 今はそこあさにありけるよと、あさむかれける
酒合戦、実際の勝利は江戸方にあったようですが、この合戦を再現する祭が、毎年秋に行われています。
水鳥の祭と呼ばれ、江戸方と川崎方に扮した人たちが近くの神社に練り込み、そこで主将同士の決戦が行われます。今年は10月15日(日)12時から、会場となるのは川崎大師や若宮八幡で、全国の酒造メーカーから酒が提供されるほか、商店街からも酒饅頭が振る舞われるそうです。
地域振興のお祭とはいえ、川崎の人たちの池上氏に寄せる想いがなければ、三百五十年前の史実を再現しようということはならないでしょう。
池上氏はいまも祭を通じ、川崎に生きています。もちろん、町のそこかしこにも。