六郷川(多摩川)を渡り、川崎宿に入ります
川崎宿には本陣が二軒ありました これはそのうちの一つ 当主田中休愚は渡船で宿場の財政危機を救った功労者
田中本陣近くの川崎 現在はこんな感じです
人馬の継立などを行った場所「とんやば」とか「といやば」と読みます
砂子の交差点 このあたりが宿場の中心でした
東海道を逸れてちょっと寄り道 川崎大師の門前はいつも賑わっています
池上新町にある汐留稲荷 川崎の発展に尽くした池上氏ゆかりのお社です
「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」芭蕉が郷里伊賀に帰る際、見送りに来た弟子たちと別れたのがここでした
日本橋から五番目の一里塚跡 初めて目にする一里塚跡です
鶴見川に架かる鶴見橋を渡ります
鶴見の商店街は江戸時代間の宿(あいのしゅく)として賑わっていました 間の宿には休憩のための茶店などが並んでいました
生麦魚河岸通り 生麦は江戸時代海産物を献上する代わりに漁業の特権を得た御菜八ヶ浦の一つでした
貝殻浜と呼ばれる鶴見川の河口
現在は静かな住宅街ですが ここで生麦事件が起きました
生麦事件碑 高速道路の工事で一時場所を移されていましたが 今年八月元の場所に戻りました