古社寺風景

新屋坐天照御魂神社(二)

前回の続きで、天照御魂神あまてるみたまのかみの幸御魂がお祀りされたと伝わる宿久庄しゅくのしょう新屋坐天照御魂にいやにますあまてるみたま神社と、荒御魂がお祀りされたという西河原の新屋坐天照御魂神社に話題を移します。

 

まずは西河原の新屋坐天照御魂神社へ。

現在西河原の新屋坐天照御魂神社は国道一七一号線沿いにあります。この神社、元は広大な境内を有した地域の総社的な存在で、国道を挟んで百五十メートルほど南東にある磯良いそら神社は当社の境内社だったようです。新屋坐天照御魂神社自体、初めは現在の磯良神社の辺りに鎮座しており、江戸時代の寛文九年(一六六九)に現在地に遷されたと伝わります。

 

現在の御祭神は天照御魂神、天児屋根命あめのこやねのみこと建御名方命たけみなかたのみことの三柱です。天児屋根命は中臣氏や藤原氏が祖神としている神さま。建御名方命は神話の世界で大国主命の御子神とされ、国譲りにおいてその交渉に応じず、天からやってきた建御雷たけみかづちとの力くらべに敗れ信濃の諏訪湖に逃げ、その地に鎮座したとされています。現在は諏訪大社の御祭神として知られる神さまです。

天児屋根命がお祀りされていることについては、西河原周辺がかつて藤原氏の氏長者が管轄した土地だったことに関係するのかもしれません。建御名方命については直接的な結びつきが見えてこず、当社からだけでではそのヒントとなるものを探ることは難しそうですので、本来の鎮座地だったという磯良神社にいったん話を移すことにします。

 

下が磯良神社です。

磯良神社境内には霊泉「玉の井」が湧いており、疣に効くことから疣水と呼ばれ、その功徳から磯良神社は疣水神社とも呼ばれ、古くから信仰を集めてきました。もともとこちらの場所にあった新屋坐天照御魂神社が、北西の現在地に遷されたのはここにこの霊水があったからでしょう。西の通りに面した鳥居脇には「疣水神社」と刻まれた大きな石標が立っており、磯良神社より疣水神社のほうが知られている様子がうかがえます。

 

現在は水質に問題があり扉が閉まっていますが、以前は霊水をいただいて帰ることができたようです。

この霊水には神功皇后にまつわる伝承があります。神功皇后が朝鮮半島出兵の際当地に立ち寄られ、霊水で顔を洗ったところ大きな疣ができて醜い顔になられますが、女性の姿では侮られると思っていたので、これぞ御神慮の賜物と男装して戦地に赴き、凱旋後に再びこの水で顔を洗うと疣が取れ、元の美しい顔に戻ったというものです。

 

磯良神社でお祀りされているのは磯良大神、安曇磯良(阿曇磯良)とも呼ばれるように安曇氏が祖神とする海の神です。磯良大神も神功皇后の出兵の際に舵取りに招かれましたが、顔にアワビや牡蠣が付いて醜いのを恥じて海から現れなかったため、住吉神が海中に舞台を作って舞によって誘い出し、出陣に貢献したと伝わるように、磯良神社には神功皇后伝承と海神磯良神の存在が色濃く残っています。

 

拝殿の向かって左のこちらに神功皇后と住吉神がお祀りされています。

このように磯良神社にゆかりのある安曇氏は、志賀島を拠点に全国各地に渡り、その足跡は海沿いの地域ばかりか内陸部にも見られます。長野県の安曇野もその一例で、安曇氏がどのルートでそこに至ったかはいくつか説があるようですが、その一つに日本海から姫川を通ってきたというのがあります。そこで想起されるのが、西河原の新屋坐天照御魂神社にお祀りされている建御名方命です。神話では出雲国から諏訪湖に逃れたということですが、そのルートは安曇氏の先のルートに似ているような気がします。もし仮に、安曇氏の移動の足跡が神話世界における建御名方命の動きに投影されているとしたら、西河原の新屋坐天照御魂神社にお祀りされている建御名方命からも安曇氏の存在が見えてくるということになりますが、果たしてどうなのでしょうか。

前回取り上げた西福井の新屋坐天照御魂神社の主祭神天照御魂神から、尾張氏の影響力の可能性に触れました。ここ西河原の新屋坐天照御魂神社の主祭神は天照御魂神の荒御魂ということですが、その相殿神を見ていくと、尾張氏とは別の海人族である安曇氏の足跡が浮かび、興味は尽きません。現時点で言えるのは、北摂のこの一帯に海との関わりの歴史が刻まれているということです。

 

続いて三つ目の新屋坐天照御魂神社に向かいます。場所は西河原の神社から西におよそ五キロほどの宿久庄で、すぐ東に勝尾寺川が流れています。西河原の神社のすぐ西には安威川が流れていますが、勝尾寺川は安威川の支流になります。宿久という地名は『和名類聚抄』にある摂津国嶋下郡宿久郷に由来し、中世に宿久庄という荘園が置かれたことから宿久庄となったとのこと。

 

境内にある御由緒によると、主祭神に天照皇御魂大神、相殿神として天照国照彦火明大神あまてるくにてるひこほあかりのおおかみ天津彦火瓊瓊杵大神あまつひこほのににぎのおおかみをお祀りしているとあり、この三柱は前回取り上げた西福井の新屋坐天照御魂神社の御祭神として茨木市教育委員会の表示に記されていた御祭神と全く同じですから、おそらく宿久庄でも後の時代に改変されこのようになったのでしょう。当社は西福井の神社の御由緒にあったように、天照御魂神の和魂をお祀りするお社だったのだと思います。

前回から二回にわたり、新屋坐天照御魂神社の論社三社をたどってみました。延喜式にある新屋坐天照御魂神社が実際どこにあったのかいまだ確証を得られず、西福井、西河原、宿久庄の三社はその候補となる神社ということですが、各社とも天照御魂神をお祀りする一方で、相殿にお祀りされた神々は歴史の変遷をうかがわせてもくれます。すべてが明らかになることはないかもしれませんが、神社を通じ、人の動きに思いを巡らせていると、摂津国の古代の様子がおぼろげながら浮かんできて、その土地に一層の愛着を感じるようになりました。

 

 

 

 

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