昨日は節分、今日は立春。まだ寒い日が続きますが、暦の上では春へと季節が移りました。ほぼ毎日、夕暮れ時同じ場所に座っているので、西日が横顔に直接当たりまぶしく感じていたところ、いつの間にか西日が顔を避けて沈んでいくようになりました。少しずつですが確実に春に向かって季節が進んでいます。
節分といえば京都の吉田神社です。去年に続き今年も吉田神社のことを少しばかり。
吉田神社の節分祭は節分の日を中心に三日にわたって行われます。前日には前日祭、疫神祭、追儺式(鬼やらい)、当日には当日祭と火炉祭、翌日には後日祭で、多くの方が楽しみにしていて、また節分らしいものといえば追儺式、いわゆる鬼やらいですが、コロナの影響で今年も中止になりました。世間一般の流れに逆らえないというのも理解できる一方で、鬼が出たところで感染にそう影響はないのでは、こういうときこそ鬼=邪気を払うべきでは、と私の心の内では諸々燻っています。
疫神祭は、節分前日の朝、大元宮という吉田神道の中心的存在だった場所で、疫神にどうか暴れることなくお鎮まりくださいと祈り、門外に向かって神酒洗米を撒く神事です。私が吉田神社に到着した頃にはすでに疫神祭は終わっていましたが、大元宮には節分の期間厄塚が設けられますので、まずはそちらにお詣りし、厄を落とします。
大元宮は八百万の神をお祀りする場所で、その前に立っているのが厄塚です。塚から藁状に編みあげた藁が大元宮の屋根に至り、一番上には薄が飾られています。注連縄が大元宮に繋がっているので、この塚に触れることで、八百万の神の力をいただけるということですが、感染症対策で今年もそれは叶わず。
中止や禁止がいくつかある中で、今年は参道に少し出店が戻っていたのは嬉しいことでした。
実は我が家には長年たまったたくさんのお札やお守りがありました。その大半は、亡き父母が生前各地を旅した際に求めたもので、実家を整理していたときそれらがあちらこちらから出てきたので、ひとまとめにして私の家で保管してあったのです。今年はさまざまな気持ちの整理もついたことから、たくさんのお札やお守りをお炊きあげに出したいと思っていたのですが、小正月のどんと焼が中止になり、もう一年持っていることになるのかなと思っていたところ、吉田神社の節分祭で火炉祭があることを思い出し、こちらにお納めすることにしました。プラスチックで覆われたお守りは今回ははずし、紙や木のお札だけまとめても、小さな紙袋が一杯になりました。もちろん去年吉田神社で求めた梔色のお札も入っています。それらを係の人に渡すと、何だかすっと気持ちが軽くなりました。
こちらが古いお札などを入れる火炉。木の柱に青竹と注連縄を巡らせ籠のような形に作られていますが、その形は大元宮に似ているのだとか。節分当日の夜、神職によりここに火がつけられ、火炉全体が炎に包まれます。古札に宿った神々は、この炎によって元の場所にお帰りになります。炎に当たり煙に包まれることで、参拝者にも無病息災がもたらされます。
今年火炉祭は行われはするものの、非公開でした。思い出のつまったお札が炎に包まれるところを見届けたかったのですが…。
残念づくしの節分でしたが、一つ身軽になったのでよかったということにして、気持ちも新たにまた日々を過ごそうと思います。
個人的な感覚かもしれませんが、お正月より節分の方が節目を意識させられます。季節を分けるのが節分、その翌日である今日は春が立つ日、立春です。窓の外を見ると陽差しが柔らかく感じられます。梅も咲き始めました。