古社寺風景

垂水神社

大阪の北部、北摂と呼ばれる一帯に拡がる千里丘陵では、旧石器時代以来人の暮らしが営まれてきました。今回取り上げる垂水神社があるのは、千里丘陵の南端の吹田市垂水ですが、神社周辺からも旧石器時代から中世に至る複合遺跡が出ていて、とくに弥生時代の高地性集落跡が知られています。垂水神社本殿の後方や西側からは複数の竪穴式住居跡や高床式建物跡、焦土抗、集石遺構などが見つかったそうです。現在それらは埋め戻されていますが、そういう場所に垂水神社が鎮座していることによって、私たちは神社の歴史ばかりか、神社創建以前からのこの土地の歴史を連続して感じることができます。

 

垂水神社の垂水は、崖からしたたり落ちる水のことです。千里丘陵に蓄えられた雨水が、丘陵南端のこのあたりで湧き出ていたことに由来するのでしょう。冒頭の写真は本殿の西にある「垂水の滝」のうち大滝と呼ばれるものです。滝といってもちょろちょろとした細い水ですが、江戸時代の『摂津名所図会』に「垂水。社頭にあり。清冷味甘味。諸病を治す。すべて此辺に霊泉多し。」と記されているように、かつては摂津一の霊水として信仰を集めていましたし、この水は灌漑にも大いに役立っていたようです。病を治し土地を潤す垂水を社名に冠するほどですから、もともとは水の神さまをお祀りする水に対する信仰の聖地だったのでしょう。ちなみに垂水神社から北東に二キロほど、同じ吹田市に佐井寺というお寺があります。天武天皇の時代に創建されたと伝わる古社ですが、佐井寺の佐井も当地に湧く水に由来します。千里丘陵南端に湧く清水、その水に恩恵を浴した古代人が、清水に感謝の思いを捧げお祀りするのはごく自然なことに思えます。

神社の現在の御祭神は、豊城入彦命とよきいりひこのみこと(崇神天皇の皇子)、大己貴命おおなむちのみこと少彦名命すくなひこなのみことですが、平安時代の『新撰姓氏録』によると、当時干ばつに見舞われたため、豊城入彦命の四世孫にあたる阿利真公ありまのきみが高樋を造り、垂水の水を孝徳天皇の難波長柄豊崎宮まで通したことから、阿利真公はその功績を称えられて垂水公の姓を賜り、神社を司ることになったとのこと。もともと水の神をお祀りしていた聖地が、阿利真公の功績により豊城入彦命を主祭神とする垂水神社になったということかもしれません。(明治時代まで高樋の跡があったのだそうです。)

弥生時代後期から古墳時代ごろの古代大阪湾周辺の地図を見ますと、半島状の上町台地の北端が砂州となって千里丘陵近くまで延びていて、難波宮から見て垂水神社は直線上にあり、指呼の間に感じられます。そうした距離と位置からも、垂水の土地の首長が中央と密接だったことがうかがえます。両者の結びつきということでいうと、難波宮で行われた天皇の即位儀礼の一つ、八十島祭において、難波の地主神である住吉神らと共に、垂水神にも幣帛が供えられていたことを思い出します。以前投稿した大依羅神社もそこに名を連ねていましたが、こうした国家祭祀にも関わるほど垂水神社は重きを置かれていたということです。

 

 

 

ところで冒頭の写真にある滝は、社殿から長い階段を下りた一段低いところにありますので、そちらに行ってみましょう。

 

現在境内には小滝と大滝の二つの滝があります。大滝の方は、神聖な水ということで靴を脱ぎサンダルに履き替えないと、滝近くに行くことができません。古来祈りを捧げられてきた水の前でしばし黙祷。背後の杜から爽やかな風が吹き下りました。

 

 

 

垂水といえば万葉集に次のような歌があります。

石激る垂水の上のさ蕨びの萌え出づる春になりにけるかも  『万葉集』第八巻 一四一八 志貴皇子

岩からはげしく流れ落ちる滝のほとりにわらびが芽を出している。いよいよ春になったのだな、という春の訪れを喜ぶ歌です。志貴皇子自身は王位継承とは無縁でしたが、父親は天智天皇、志貴皇子の第六皇子が桓武天皇の父にあたる光仁天皇になります。この歌にある垂水は普通名詞として解釈されることが多いようですが、千里丘陵の自然を眼にし詠んだ歌だとしたら、現在この丘陵の一角に暮らす一人として嬉しいものです。

 

 

酷暑の中、垂水神社境内に足を踏み入れたとたん、何故だかわからないけれど、熱くこみ上げてくるものがありました。社殿の奥には濃い緑の杜。東は大きく開け、杜に抱かれるようにして摂末社の小さな社殿が見えます。都市部においてこれだけ豊かな杜があることに驚き心奪われたことが、その熱くこみ上げた理由かと自分なりに納得していたのですが、その後境内をゆっくり歩いていくうち、一帯が弥生時代の集落跡であったことを知り、なるほどそうなのかと。

ここに限りませんが、神社が鎮座する土地というのは、古くからの人の営みがあった場所であることが多く、そういうところには神社の創建の歴史をはるかに遡る古代からの人の祈り、思いが堆積しています。神社に行くと、清々しく心が洗われるような気持ちになるのは、古社を取り巻く鎮守の杜が発する自然の力によるところが大きいのでしょうが、この土地を大切に思い続けてきた数千年にわたる祈りの連鎖が、現代人の心に何かしら響くところがあるからではないかと感じます。

最後にその神社の杜に関して、朗報を。

二〇一四年、神社東側の杜に繋がる私有地でマンション建設計画が持ち上がりましたが、建物が本殿を見下ろすようになることから住民が猛反対し、神社が土地を買い取ることで計画を阻止しました。上の写真でいうと、マンションの計画があったのは右奥のあたりですが、まだ一部買い取っていないところがあるそうです。地元の人たちが垂水神社を大切に思う気持によって守られた杜が、もう二度とこのような憂き目に遭わないことを願うばかりです。

 

 

 

 

 

 

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