七月の京都は祇園祭一色です。
一日の吉符入りに始まり、三十一日の夏越祭まで、連日のように祇園祭関連の行事や神事が行われています。
私は祇園祭が好きで、毎年のように行っていますが、まだ目にしていないものが数多くあります。毎年一つずつ新しい発見、体験をしていくのも、この祭の楽しみ方ではないかということで、のんびり祇園祭に向き合っています。
例年ですと、祇園祭の時期は猛烈に蒸し暑く、十数万人の人出で通りは将棋倒し寸前、危険回避のために一方通行になる通りもあり、お目当ての場所にすぐにたどり着くことができませんが、宵宵山の夕べはまれに見る過ごしやすい夜だったことに加え、人もいつもより少なめでしたので、山鉾巡りには最適でした。
後祭ならともかく、前祭でこれほどスムーズに山鉾を見て回ることができるとは思ってもいませんで、おかげで今年は例年以上に収穫がありました。
今年の宵宵山一番の収穫は、船鉾に乗ったことです。
船鉾は、祇園祭前祭の巡行の際、最後を飾る鉾で、新町通綾小路下ル船鉾町が鉾町です。ちなみに後祭の巡行の最後を飾るのが、二〇一六年に百五十二年ぶりに復元された大船鉾で、三十三基の山鉾の中でも船鉾と大船鉾は、船の形をした大変珍しい鉾です。両者はいずれも『日本書紀』にある神功皇后の三韓征伐伝承に由来し、船というのは安宅船と呼ばれた軍船を模しています。船鉾は出陣、大船鉾は凱旋の場面を表しているのだとか。そうしたストーリーは巡行のとき神功皇后、住吉明神、鹿島明神、安曇磯良(龍神)の御神体や旗竿などが鉾に乗ることで一層明瞭になります。
船鉾の全長は六、五メートル、高さが六、六メートル、幅三、三メートルという巨大なもので、その形の全容は巡行の時のほうがよくわかりますが、今回のように間近で見ても、船鉾は重量感と迫力の点で一番ではないかと思っています。
船鉾へは、通り沿いにある町会所の二階から渡された木製の空中廊下を伝って行きます。私が乗る直前まで、船鉾ではお囃子が演奏されていたのですが、下から聞くのとは大違いで、鉦の音が耳を劈き、話声も聞こえません。
鉾内には祇園囃子の奏者が数十人、そこに見学の人も加わって、鉾から人がこぼれ落ちそうなほど。それだけの重さを十分支えられるだけの造りであることに驚きます。
そしていよいよ私たちが乗る番に。縁から体をつきあわせて詰めていって、一体何人乗ったでしょうか。二十人近くは同乗していたような気がします。目線は二階の屋根よりも上で、巡行の時にはさらに多い五十人近い人が乗り、外に身を乗り出しお囃子を演奏しながら動くのですから、慣れていない人は怖いのではと思います。かくいう私も乗った直後は少し怖かったです。でもすぐに、恐怖心より内部の装飾の豪華さに目を奪われてしまいました。
天井は金箔の格天井。様々な花が描かれています。欄間も豪華。
船首には、水難を避けると言われている鷁という想像上の瑞鳥が置かれていますが、それを間近に裏側から見ることができました。
女性である私がこうして船鉾に乗ることができるのも、宵宵宵山から宵山までの間だけ。貴重な体験でした。
船鉾は船体を飾る水引きも重厚で豪華です。写真下は下水引の部分で、金地雲龍厚肉入繍と呼ばれるもの。円山応挙の弟子で船鉾町生まれの西村楠亭の下絵によるそうです。
動く美術館とはよく言ったものです。
今晩は前祭の宵山で、明日は巡行です。豪華で勇壮な船鉾の勇姿をまた見に行ってみましょうか。